1975年から1994年にかけてTBS系列で放送され、日本中の子どもたちに親しまれたテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』。ほのぼのとした語り口調で進む物語は、家族で楽しめるアニメとしてお茶の間の定番であった。
しかし、全1400話以上にも及ぶエピソードの中には、理不尽で救いのない結末を迎える話も少なくない。最後はハッピーエンドを迎えるかと思いきや、あまりにも悲惨な結末に絶句した視聴者もいたことだろう。
そこで今回は数あるエピソードの中から、特に救いのない悲劇の物語をピックアップして振り返りたい。
※本記事には各作品の内容を含みます
■心を入れ替え人間のために雨ごいをした『河童の雨ごい』
昔話において、「悪者が改心して幸せになる」という展開は1つの王道パターンだ。しかし、この『河童の雨ごい』は、改心した者が必ずしも報われるとは限らない残酷さを突きつけてくる。
舞台は森の中の古い沼。そこに住む1匹の河童は、畑を荒らしたり、人を沼に引きずり込んだりと、村人たちを大いに困らせていた。
しかし、河童が暴れるのには理由があった。それは、“自分がこんな姿で生まれてきたため、人間にも魚の仲間にもなれない”という深い孤独感から自暴自棄になり、悪さをしていたのだ。そんな河童に対し、旅の僧侶が“生きているうちに人の役に立つことをしなさい”と諭したことで、河童は自らの行いを深く省みるのである。
その年の夏、村は深刻な日照りに見舞われ、村人たちの雨乞いも虚しく作物は枯れ果ててしまう。そこにあの河童が現れ、村人たちに「自分にも雨乞いをさせてくれ」と懇願した。
その後、河童は何も口にせず、何日も何日も必死に祈り続けた。やがてその熱意が天に通じたのか、ついに大粒の雨が降り出し、村は救われる。しかし、村人たちが歓喜に沸く中、やぐらの上にいた河童は激しい雨に打たれながらすでに息絶えていた。
特に胸が痛むのは、雨乞いを申し出た河童に対し、村人たちはこれまでの恨みを晴らすかのごとく河童をよってたかっていじめてしまう場面である。ボロボロになりながらも、なお“雨乞いをさせてほしい”と頼む河童の姿はあまりにも痛々しく、切なくなってしまう。
結果的に、自分の命と引き換えに村を救ったであろう河童。人間になりたかった河童の孤独と、自己犠牲の尊さには胸が締め付けられる。村人たちが建てた河童を弔う小さなお墓が映し出されるラストシーンに、少しだけ救いが感じられる。
■百人力を授かった男の悲惨な末路『とうせん坊』
続いて紹介するのは、人間の集団心理の恐ろしさと、不条理な暴力の連鎖を描いた『とうせん坊』だ。
身寄りがなく、小さな寺に預けられた大柄な男・とうせん坊。彼は鈍重な振る舞いから「でくのぼう」などと罵られ、周囲からひどいいじめを受けて育った。
とうせん坊は、彼らを見返したい一心で観音堂にこもって祈り続けた結果、観音様から“百人力”の怪力を授かる。しかし、力加減を知らない彼は、村の相撲大会で対戦相手を次々と死なせてしまう。
その結果「人殺し」と罵られ、1人で山にこもったとうせん坊。しかし、彼の留守中に村の若者たちが鍋の中に糞を入れるという陰湿な嫌がらせをしたことで、彼の怒りはついに爆発。村に火を放ち、人々を手に掛けるようになってしまったのだ。
それから何年かして、とうせん坊が流れ着いたのは越前の東尋坊であった。そこで宴会をしていた村人たちから酒を勧められた彼は、生まれて初めて向けられた人間の優しさに触れ、涙を流す。
やがて酔いつぶれ、母の子守唄の夢を見るが、しかし、それこそが彼を殺害するための村人たちの罠だった。酔いつぶれて意識を失ったとうせん坊は縄で縛られ、そのまま崖から海へと落とされてしまうのである。
本作は現代社会にも通じる陰湿ないじめや、その影響によって被害者がどのような辛い人生を送るのかがリアルに描かれている。最後にようやく人の優しさに触れ、束の間の幸福を感じたとうせん坊が再び裏切られて命を落とす結末は、あまりにも悲惨で言葉も出ない。
物語は「とうせん坊の怨霊は、今も北国の海に彷徨っている」というナレーションで締めくくられており、悲劇の余韻を残している。


