吾峠呼世晴氏の漫画『鬼滅の刃』は、アニメ化をきっかけに社会現象を巻き起こした大ヒット作品だ。現在公開中の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は、全世界興行収入が1000億円を超え、話題となっている。
本作は、心優しき少年・竈門炭治郎が、鬼になってしまった妹の禰󠄀豆子を人間に戻すため、仲間と共に凶悪な鬼たちと戦う物語だ。そのストーリー性が、世代を問わず多くの観客の胸を打つ。
今回の劇場版「無限城編」では、鬼の始祖・鬼舞辻無惨との最終決戦が描かれる。3部作で構成される「無限城編」はまだ1作目ながら、シリーズのクライマックスとして大きな注目を集めている。
さて、そんな本作では先述した通り、鬼の始祖にして物語のラスボスである無惨の圧倒的な非道さが強烈な印象を植え付ける。気に入らない部下を容赦なく粛清したり、自身を“天災”に例えたりと、その冷静で自己中心的な独裁者ぶりは他に類をみない。
しかし、そんな無惨でさえ、作中で恐れた男がいる。それが、鬼を滅殺するための組織「鬼殺隊」を率いる当主・産屋敷耀哉だ。
耀哉はアニメ「柱稽古編」の最終話にて、決死の自爆作戦を実行し、無惨を戦慄させた。無惨をもってして「あの男は完全に常軌を逸している」と言わしめていることからも、その行動は彼の予想をはるかに超えるものであったに違いない。
今回は、普段は穏やかでありながら、無惨すらも驚愕させた、耀哉の冷酷にも見える一面を振り返りたい。
※本記事には作品の内容を含みます
■「理想の指導者」が見せた冷酷な一面
産屋敷耀哉は、鬼殺隊士からは「お館様」と呼ばれており、カリスマ性に溢れた唯一無二の指導者である。代々病を患う短命の家系であり、その顔は上半分が焼けただれたような痕があり、非常に痛々しい。物語が進むにつれ、徐々に起き上がれなくなるほど病に侵され弱っていく耀哉だが、それでも無惨を倒すことを最後まで考え続けた。
そんな彼の人物像がまだ明らかになっていない物語序盤において、読者を最も驚かせたのが、炭治郎たちが鬼殺隊への入隊が決まる「最終選別」の後のセリフだ。
最終選別を生き延びたのが5人であったことを報告された耀哉は、「五人も生き残ったのかい」と静かに呟く。この最終選別とは、“鬼が十数体ほど閉じ込められている藤襲山の中で7日間生き残る”という過酷な試験だ。
作中では、炭治郎やその同期となる隊士たち以外にも多くの候補者がいたことが描かれている。しかし、最終的にはわずか5人しか生き残らず、ほとんどの候補者は7日のうちに命を落としたことになる。
極端な合格基準のこの選別に対しての「五人も」というセリフは、ともすれば死を当然と受け止め、命を軽視しているかのような発言に受け取られてもおかしくない。これは、鬼殺隊という組織が背負う異常性を垣間見せるかのようなシーンであった。
多くの命を預かり、人の上に立つ者として、時には非情とも取れる判断も必要ということなのだろうか。
耀哉のこうした非情に見える言動は他にもある。那田蜘蛛山での戦いの後、鬼である禰󠄀豆子を連れた炭治郎は「柱合裁判」にかけられ、今後の処遇を決められるのだが、この時にある事件が起こっている。
それは、鬼を憎む風柱・不死川実弥が禰󠄀豆子が鬼の本能を抑えられるかを試すため、彼女を刃で突き刺し、自らの血で煽ったシーンだ。目の前で繰り広げられる流血沙汰に対し、耀哉は見守るばかりでそれを制止しない。
当時の耀哉はすでに視力を失っていたようだが、普段の彼の慈悲深い性格を考えれば、少なくとも不死川をなだめるなど、他の手段をとりそうなものだが……。この静観はある意味、炭治郎や禰󠄀豆子、そして柱たちさえも試していたのかもしれないとも思える。


