
現在『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が大ヒット上映中の、吾峠呼世晴氏の『鬼滅の刃』。物語の舞台は、宿敵・鬼舞辻無惨の根城である無限城へと移り、鬼殺隊が必死に鬼と戦う様子が描かれ、観客を熱狂の渦に巻き込んでいる。
2019年のアニメ「竈門炭治郎 立志編」からはじまり、無限列車編、遊郭編、刀鍛冶の里編、柱稽古編と、さまざまな戦いを経てきた鬼殺隊の隊士たち。激しい戦いに目を奪われがちだが、今になって思えば「このシステムは効率が悪いのではないか?」「この組織はどうなっているの?」と、つい頭に疑問が浮かんでしまう初期の設定もいくつかある。
今回はそんな、今となっては当たり前に受け入れられている『鬼滅の刃』の知られざる秘密を振り返りたい。
※本記事には作品の内容を含みます
■あまりに非情すぎる? 鬼殺隊の入隊試験「最終選別」における疑問
まず疑問に思うのは、鬼殺隊への入隊試験である「最終選別」のシステムだ。これに合格した者は、その場で隊士に任命される。
その合格基準は至ってシンプルで、“鬼が十数体ほど閉じ込められている藤襲山の中で7日間生き残る”というもの。主人公の竈門炭治郎も、師である鱗滝左近次のもとで2年間にわたる過酷な修行を経て、この選別に挑んだ。
しかし、このシステム、“生か死か”という判断基準があまりにも極端すぎるように感じるのだ。
たとえば、柱稽古編では、水柱・冨岡義勇がこの選別を受けた年、同期の錆兎がほとんどの鬼を1人で倒し、ほかの候補者を守って命を落としたことが明かされている。結果として錆兎以外の候補者は全員生き残って合格したが、彼のような優秀な人材を失ってしまう可能性があるというルールの穴があるだろう。
また、“生き残りさえすれば合格”という基準にも曖昧な点がある。今後の任務に支障をきたす重症を負った場合はどうなるのかなど詳しいことは語られていないし、作中ではそのような隊士も存在しない。
さらに、鬼殺隊当主であるお館様こと産屋敷耀哉は、戦いで命を落とした全ての隊士の名前と生いたちを覚えており、毎日墓参りをしている人物として描かれているが、選別にも受からなかった候補者たちをどのように捉えているのかも気になるところだ。
いずれにせよ組織のトップに立つ者は、冷静さはもちろん、時に非情とも取れる判断も必要ということなのだろうか。鬼殺隊という組織をまとめていくためには、多くのものを背負わなくてはいけない重圧があることを感じさせる。
加えて、全ての鬼は無惨からの支配を受けており、情報を共有できるという特性を持っているはずだが、なぜ、藤襲山にいる鬼たちは無惨に場所の共有をしなかったのかも疑問だ。選別には産屋敷の子どもたちも立ち会っていたのだから、最短で産屋敷一族に近づけるチャンスだと思うのだが……。
だがこれについては、無惨が十二鬼月以外のいわゆる“ザコ鬼”に全く関心を示していなかったからと考えれば説明がつく。彼にとって鬼殺隊はとるにたらない組織であり、あくまで太陽の克服方法さえわかればよかったのかもしれない。しかし、その傲慢さが彼の短所となってしまったようにも思うが。