
『SLAM DUNK』は、漫画家・井上雄彦さんの代表作にして、90年代を象徴する不朽の青春バスケット漫画である。リアルなプレイ描写とスリリングな試合展開で絶大な人気を博し、近年でも本作の“聖地巡礼”がニュースとして取り上げられるなど、その熱気は今なお衰えを知らない。
だが、連載終了から長い年月が経った今も、「なぜなのか?」と思わず首をかしげたくなるような謎めいた場面が存在する。今回は、そんな『SLAM DUNK』に散りばめられた、6つの“謎”を取り上げていきたい。
※本記事には作品の内容を含みます
■強豪に監督不在? 無名校に名将?「監督の謎」
本作には「リアルな部活動の描写」と「フィクションならではの大胆な描写」が、巧みに混在している。その象徴的な例が、各チームにおける指導者の描写だ。
まず注目したいのは、全国レベルの実力を誇る強豪・翔陽高校に監督が存在しなかった点だ。試合中にベンチに座っていたのはバスケ未経験の顧問のみで、実質的な采配は選手であり、キャプテンでもある藤真健司が担っていた。
現実では全国区の強豪校において、選手兼監督のような状況は非常に異例である。しかし、この特異な設定があったからこそ、藤真は「自らチームを率いることができるカリスマ」として際立つ存在になった。
一方、それとは対照的に、無名の公立校である湘北高校には、大学バスケ界で名を馳せた名将・安西先生が在籍していた。かつては「白髪鬼」と恐れられたスパルタコーチで、名門大学を率いた実績を持つ。
そんな安西先生が、なぜ一地方の無名校に身を置いているのか。その理由は作中では明かされていないが、かつての教え子・谷沢龍二との悲しい出来事が背景にあると推測される。現実的には不自然かもしれないが、この名将と無名校という組み合わせは、読者に強いインパクトを与えた。
■逸材はなぜその道を選んだのか?「進学・進路の謎」
次に注目したいのは、作中に登場する選手たちの進学や進路をめぐる謎だ。
バスケに限らず、現実の学生スポーツでは、有望な選手は自然と強豪校や推薦枠に集まるのが常だ。だが『SLAM DUNK』の世界では、その常識を覆す選択が描かれている。
その代表例が陵南高校のエース・仙道彰である。中学時代、すでに山王工業高校・沢北栄治に匹敵すると評されるほどの逸材が、なぜ東京の中学から神奈川の陵南高校へ進学したのだろうか。
陵南も強豪校ではあるものの、全国大会の出場実績はなし。もし仙道が全国区の名門に進学していれば、高校バスケの勢力図そのものが変わっていた可能性が高い。筆者としては、釣り好きである仙道が、海の近くに位置する陵南の環境に惹かれたという説を推したいところだ。
また、湘北のキャプテン・赤木剛憲の進路にも不可解な点がある。大学バスケ界ナンバーワン・深沢体育大学の推薦条件は「インターハイ・ベスト8以上」というものだった。
湘北は3回戦で敗退し条件を満たせなかったが、深体大の唐沢監督は試合中に「ここで負けても赤木は獲るぞ」と明言していた。にもかかわらず、最終的に赤木が推薦を得ることはなかったのである。
考えられる理由としては、もともと「インターハイ・ベスト8」自体が、唐沢監督が上層部に赤木を推した際の最低条件であり、それが達成できなかったことで話を進めるのが難しくなったという可能性だ。
あるいは、真面目で不器用な赤木自身が、条件未達を理由に推薦話を辞退した説も考えられるだろう。いずれにしても彼は学業優秀であり、自らの力で入学を果たした大学でバスケを続ける道を選んだのではないだろうか。