
1950~60年代の少女漫画黎明期は女性漫画家が少なく、『リボンの騎士』の手塚治虫氏をはじめ、ちばてつや氏、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏、松本零士氏など、のちに少年漫画や青年漫画で活躍する男性漫画家が少女漫画を描いていた。
70年代になると女性漫画家も増加したが、そのなかでも『スケバン刑事』(1976年より連載)の和田慎二氏、『パタリロ!』(1978年より連載)の魔夜峰央氏といった男性作家が人気を博していた。
また、ペンネームや絵柄からは男性作家と思えない漫画家もいた。たとえば、2025年放送の春アニメ『アポカリプスホテル』でキャラクター原案を務めた竹本泉氏だ。
竹本氏は、少女漫画誌『なかよし』(講談社)で『あおいちゃんパニック!』(1983年より連載)を連載するなど少女漫画界で活躍。とても愛らしい絵柄で、筆者はてっきり女性作家だと思っていたが、のちに男性作家と知って大変驚いたものだ。
そのほかにも青年誌で大ブレイクする前に、少女漫画を描いていた男性作家も存在する。実は少女漫画を手がけていた巨匠たちの、知られざる過去作を振り返ってみたい。
※本記事には各作品の内容を含みます。
■青年誌の看板作家が少女漫画で表現した「下ネタ」と「感動」
最初に紹介したいのは、明るくお色気たっぷりのラブコメ作品に定評のある弓月光氏。50年以上も第一線で活躍する人気漫画家で、氏の描く大きな瞳とプリっとした唇が印象的な美少女は魅力的だ。
弓月氏といえば、1982年より『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で『みんなあげちゃう』を連載。1990年からは『ビジネスジャンプ』(集英社)で『甘い生活』、『グランドジャンプ』(集英社)で『甘い生活 2nd season』と続いた長編作品を34年も連載していた。
現在も『グランドジャンプ』で『瞬きのソーニャ』を連載中で、75歳となった今も精力的に執筆を続けられている。
もはや「青年誌のレジェンド」ともいえる弓月氏だが、実は70年代の少女漫画誌『りぼん』(集英社)でも人気を集めていた。
弓月氏は高校在学中に『まんが王』(秋田書店)、『少年』(光文社)の新人賞で佳作入賞。1968年の「第1回りぼん新人漫画賞」で準入選し、18歳でデビューを果たしている。
少女漫画時代の弓月氏は、切れ痔と便秘の少年が自転車競技で奮闘する『出発シンコー!』、清楚な奈美と彼女の中のハレンチな別人格「ナオミ」を描いた『ナオミあ・ら・かると』などを描き、『りぼん』誌上で下ネタ満載のギャグとラブコメで人気を博す。
のちに『週刊マーガレット』(集英社)に移ると、受験戦争をコミカルに描いた『エリート狂走曲』、学園の知名度向上のため運動部の助っ人が活躍する『おたすけ人走る!!』など、異色の少女漫画を多数手がけた。
なかでも筆者にとって印象深いのが『ボクの初体験』という作品。女の子にフラレて自ら命を絶ち、仮死状態になった男子高校生の脳を、おじさん医師が若くして脳死状態になった美しい妻に移植して巻き起こるラブコメだ。
ギャグの中に感動的なシーンが見事に織り交ぜられ、特に年下妻と医師とのなれそめを描いたクリスマスのエピソードには涙腺が崩壊するほど感動させられた。