■極道モノでおなじみの人気作家が、少女漫画で描いたのは…!?

 立原あゆみ氏は、1986年より『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で『本気!』、1988年からは『ヤングチャンピオン』(秋田書店)で『JINGI 仁義』などを連載。極道・任侠漫画で知られる男性漫画家だが、実はデビュー当時は多くの少女漫画を描いていた。

 60年代後半から「りぼん漫画スクール」に投稿を重ねていた立原氏は、1970年に「第4回マーガレットまんが賞」で第2席に入選し、デビューをはたす。

 1979年から『週刊セブンティーン』(集英社)で『あばよポニーテール』、同じ年に雑誌『リリカ』(サンリオ)で『地球儀の海』、1981年には『BE・LOVE』(講談社)で連載された『桜桃(さくらんぼ)物語』など、淡く優しい絵柄で少女たちの心をつかんだ。

 数ある立原作品のなかで少女時代の筆者に刺さったのは、1980年に連載された『麦(ばく)ちゃんのヰ(い)タ・セクスアリス』だ。出産時に母を亡くした少年・秋田麦の愛と性の目覚めを描いた物語である。

 透明感のある独特の絵柄と詩的な表現に対し、生々しい等身大の十代を描いた内容が当時の少女たちのあいだで人気を集めた。

 また同シリーズの『BOYS BE 夏くん!!』では、不良ともいえない少年・夏の赤裸々な性への想いが描かれている。

 本作は集英社コバルト文庫として発売され、カバーをかけると小説にしか見えず、学校で友だちと回し読みをするのに便利だった。

 ほかにも女の子みたいにかわいい男の子のちょっと刺激的な学園生活を描いた『かすみ君のSomething』が好きだった筆者は、のちに立原氏が男性作家であることや極道漫画を描いていることを知り、少女漫画作品とのギャップに大変驚いたものである。

■圧倒的画力を誇る天才漫画家が少女漫画で試行錯誤…

 きたがわ翔氏は、緻密な絵柄と美しいカラー描写に定評のある漫画家。『週刊ヤングジャンプ』にて『NINETEEN 19』(1988年より連載)、『B.B.(ブルーバタフライ)フィッシュ』(1990年より連載)、『ホットマン』(1997年より連載)など、青年誌で数々のヒット作を生み出した。

 だが、そんなきたがわ氏は中学2年生の時に「第159回 別冊マーガレットまんがスクール」で佳作を受賞。同年、少女漫画誌『別冊マーガレット』にて『番長くんはごきげんななめ』でデビューをはたしている。

 80年代の半ばまでは、マーガレット系列で『萌子 がんばります!』、『PUREボーイ』、『エキセントリックシティ』など短編の少女漫画を手がけ、きたがわ氏らしいオシャレなセンスがキャラクターの衣装や小物に反映されていた。

 きたがわ氏のX(旧Twitter)によると、中学2年の時に少女漫画でデビュー後、はやりの少女漫画を読んで「ふわふわした表現」を頑張ったが次第に迷いが生じ、高校2年の時に描いた作品では背景やトーンが劇画調となり、「これ少女漫画で良いの?」と試行錯誤したことを明かしている。

 その後、青年誌に転向してからの大活躍はいうまでもなく、2004年以降は講談社、角川書店などを含む複数の出版社で執筆する人気作家となった。

 ちなみに現在きたがわ氏は、YouTubeやnoteで「少女漫画研究家」を名乗り、少女漫画の歴史や作品解説を行っており、その内容は説得力があって実に興味深い。


 このほかにも『AKIRA』などで知られる大友克洋氏は、1979年に『コミックアゲイン』(みのり書房)で少女漫画『危ない! 生徒会長』を執筆。同作は愛らしい絵柄でキラキラした少女漫画を“実験的”に描いた、まさに幻の作品である。

 魅力的な作品を生み出す漫画家たちは、掲載誌やジャンルの垣根にとらわれずに成功をおさめるということを示しているのかもしれない。

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