■宮野真守の童磨に感じた「空っぽ」な怖さ

 そんな宮野さんが演じた童磨を実際に劇場で見て驚いたのが、きっとこれまで演じてきた他キャラクターに関してもそうなのだろうと思わせるほどの「キャラ解釈の深さ」だ。

 宮野さんは自身のラジオ番組『宮野真守のRADIO SMILE』(文化放送)で童磨に関して、「理解できないとか不愉快とか言われるけど、俺はちょっと童磨のことを考えすぎているからめちゃめちゃ理解できる」と語っている。そして「あいつの行動原理というか、何を思って言葉を発しているのか。とことんまで僕は追求して演じているのですごく自然でしたね」と演技プランの片鱗を明かした。

 童磨は「万世極楽教」の教祖であり、信者を食べて吸収し一体になることで、彼らを救済できると思っているキャラクターだ。異様に高い知性を持って生まれてしまったことで、生きることにもがく人間の気持ちがわからない。人間なら誰しもが持つであろう共感力がごっそり抜け落ちており、それゆえに人間のマネをして他人に同情したふりをして笑ったり悲しんだりしてみせているかのようで、それがとてつもなく怖い。

 この空っぽな人間ぶった言動が、宮野さんの演技によって違和感を感じさせるものとなっている。会話のテンションやテンポ感が、その場にそぐわないように少しずつズレているように感じるのだ。

 一般的にアニメでは、ここぞという場面で、それにピッタリのテンションの声が聞こえることで「これこれ!」とそのマッチングに心地よさを覚える。だが、宮野さんの童磨はそれとは全く違う。あえて「そうあって欲しい」芝居感から、空振らせているのではないかと思うほどだ。

 声色が優しいからこそ、本当はそんなことは微塵も思っておらず、あくまで「人間ならこうだろう」という知識だけで作ったような、空虚で薄っぺらいハリボテの感情が端々から見える。それこそが童磨というキャラクターの真髄であり、我々が彼に感じる悲しさではないか。

 改めてキャラ解釈がすごいと思うとともに、原作漫画以上に童磨というキャラの奥深さを感じた。そう思ったのは、相手役となる胡蝶しのぶ役の早見沙織さんの、それまでの穏やかさとは打って変わった、むき出しに感情を乗せたような演技との相乗効果ももちろんあるだろう。

 ファンも期待した宮野さんが肉付けした童磨の姿を、まだ体感していない人も、もう劇場に足を運んだ人も、ぜひあらためて体感してほしい。

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