
1980年代といえば、テレビ、アニメ、ゲーム、おもちゃなど、数々のブームが巻き起こったアツい時代。そんな熱狂の真っ只中を生きたのが、 昭和47年(1972年)生まれの芸人・土田晃之。“華の47年組”の一人として、子どもの頃に堪能した「昭和カルチャー」を独自の視点で語り尽くします!
■土田晃之、小2でガンプラと出合う
僕が『ガンダム』を初めて観たのは、小2のときに埼玉に引っ越したあと、当時再放送でやってた“ファーストガンダム(機動戦士ガンダム)”です。最初に放送したときは僕らが小1で、人気がなくて途中で打ち切りになったんです。それが翌年の再放送で人気が出た。
ある朝、登校班の兄ちゃんのY君とT君が話してるのが気になって、「なんの話してんの?」って聞いたら、「ガンプラ」って言われて、「何それ」って聞いたら、「ガンダムのプラモデル」だって。
「プラモデル!?」
僕はそれまでロボットアニメといえば“超合金”なんですよ。『コン・バトラーV』が流行れば「コン・バトラーの超合金欲しいなぁ」とか言ってたのが“プラモデル”?「プラモデルっておもちゃ屋さんの“人気がないゾーン”にあるやつじゃないの?」……そんなイメージ。メインはガラスケースに並んでる超合金だったから。
それから何日かあとにテレビをつけたら、たまたま『ガンダム』を放送してたんです。「あ、これか! 兄ちゃんたちが言ってたの」と思って観たらかっこいい! 小2の僕には内容はよくわからなかったですけど、 「ガンダムがいい者でシャアが悪者、ガンダム頑張れ!」みたいな感じで観てました。ちょっとかっこいいロボットアニメな印象でしたね。ところがそれから少しして「ガンダムが流行ってる!」っていうのを実際に体験する事件があったんです。
■ガンプラ争奪戦!「予約ノート」とおもちゃ屋の思い出
近所のおもちゃ屋さん「ふくちゃん」に行ったときのこと。「そういえば“ガンプラ”って言ってたっけ」と思い出した僕がプラモデルコーナーに行ってみたら、ガンダムの“ザク”が3つだけ置いてあったんです。 「あ、これか!」と思って値段を見たら、300円。「300円ならおばあちゃんに言ったらくれるかも」と思って急いでおばあちゃんちに行って300円もらってすぐふくちゃんに戻ったら、もうない。慌てて探してたら、ふくちゃんのおじちゃんが「どうしたの?」って聞いてきて。
「さっきここにガンダムのプラモデルがあったんだけど」って説明したら、おじちゃんが、「ガンダムのプラモデルはいまものすごく人気があるからすぐになくなっちゃうんだよ」
“すぐ”って、こんなにすぐ!?……本当にすごい人気なんだっていうのを知りました。それからおじちゃんが出してきたのが“予約ノート” 。
「ガンダムのプラモデルはいっぱい種類があるから、土田くんも欲しいの書いて」
ノートを見たら、いっぱい名前が書いてあって、上から順に売った人から線が引かれてる。ガンプラって一番安いのが300円だったから、「300円のガンダム」の欄に住所と名前と電話番号を書いて、その横に“グフ”ってあったから、「グフって青いやつだ」と思って、そこにも名前を書いて。それから1カ月後くらいにおじちゃんから電話がかかってきて買ったのが初めてのガンプラ。300円のガンダムとグフでした。