■人間の闇を詰め込んだ珠玉の短編集…『空気の底』

 手塚さんといえば数々の名作短編を生み出しているが、なかでもダークなエピソードが多数収録されているのが、1968〜70年にかけて発表されたシリーズをまとめた短編集『空気の底』だろう。

 SF的な話からホラー作品まで、多種多様なジャンルのエピソードが収められているが、その根底には一貫して人間の心の怖さや醜さといったテーマが描かれている。

 たとえば、『ジョーを訪ねた男』では、ベトナム戦争を生き延びた白人男性を主軸に、生々しい人種差別の実態や、生還した者の命が他愛ない理由から消し飛んでしまう無情さが描かれている。

 また、『うろこが崎』では、漫画家が取材に赴いた離島にて、とある出来事をきっかけに島の隠された姿が見えてくる。奇妙な伝承が残るその島は、水質汚染……すなわち環境破壊という深刻な問題を抱えており、クライマックスではその事実が島の伝承と不気味に結びついていくことに……。

 『カメレオン』では、そのタイトルの通り、変わり身の早い男性が産業スパイとして暗躍していく。企業同士の騙し合い……かと思いきや、実は主人公にまつわる過去の因縁が、彼を予想だにしない復讐劇へと巻き込んでしまう。

 どの作品も舞台となる場所や時代設定、描かれるテーマも異なるのだが、差別意識や環境破壊、恨み辛みといった内容が、短いエピソードのなかで存分に描かれている。

 恐怖の形はそれぞれだが、やはりもっとも恐ろしいものは人間の奥底に潜む闇……ということなのかもしれない。

 

 子どもたちはもちろん、大人までも独自の世界観に引き込み、魅了する手塚ワールド。

 しかし、そこには想像力を刺激される夢溢れる物語のみならず、人間の持つ憎悪や嫉妬、執念といった仄暗い感情に焦点を当てた、強烈な作品も数多く存在する。

 人々の心に潜む闇の深さに恐れおののいてしまうと同時に、登場人物たちが抱いた哀しみや葛藤を通じて、人間の本質について深く考えさせられてしまう名エピソードばかりだ。

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