■滅びの未来へと向かっていく『風の谷のナウシカ』

 そして、スタジオジブリ初期の代表作である『風の谷のナウシカ』。本作にも知られざる“真の最終回”が存在する。

 誰もが知っている1984年公開の映画版では、ナウシカが暴走する王蟲の前に立ち、跳ね飛ばされて動かなくなってしまう。そこから蘇る奇跡が起こり、彼女こそが“青き衣をまといて金色の野に降り立つ者”=「救世主」であるという感動的なラストに仕上がっていた。

 だが、1982年から1994年まで『アニメージュ』で連載された原作漫画は、そんな単純な物語ではない。原作ではナウシカを含む全ての生命が、かつての巨大産業文明が作った「改造種」であることが明かされる。腐海は汚れた地球を元に戻すために旧世界の人々が生み出したシステムで、その役割を担わされたのが王蟲だった。ナウシカたち人間は汚れた地球でも生きていけるように改造された生命体で、逆にきれいになった地球では生きていけない存在だったのだ。

 クライマックス間際には、マスコット的存在だったキツネリスのテトが死に、ナウシカの師であるユパ様がクシャナを庇う形でむごたらしく殺される展開もある。

 そして「シュワの墓所」に保存されていたのが、「争いを好まない穏やかな新人類の卵」だった。旧人類は汚染された世界を掃除し、やがてこの穏やかな人類を復活させようとしていた。だが、ナウシカはそれを拒絶する――彼女が選んだのは、たとえ人工的生命体だとしても、設計された未来を破壊し、自らの手で道を選ぶという決断だった。

 ここで重要なのは、ナウシカが“救世主ではなかった”という点だ。原作のナウシカは道を示しただけであり、ラストで彼女が「生きねば」と語る未来には、“滅び”しかないのだった。

 

 『鉄腕アトム』『デビルマン』『風の谷のナウシカ』――アニメだけを知っていた人にとって、原作の結末はまさに“裏切り”であり、トラウマ級の内容だろう。だが、それこそが「大人になってからこそ読むべき」名作である証左でもある。

 アニメ版とはまったく違う“もうひとつの最終回”には、作者たちの痛切な問いと覚悟が詰まっている。ヒーローとは何か。正義とは誰のためのものか――。それを突きつけられた読者は、もはや目を背けることができないのである。

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