
『鉄腕アトム』『デビルマン』『風の谷のナウシカ』――これらは昭和から平成初期にかけて子どもたちを熱狂させた“ヒーロー&ヒロイン”の物語である。
だが、それはあくまでアニメ版での話だ。原作漫画の最終回を知ってしまった者にとって、それらの物語は、ただのヒロイズムでは終わらない。アニメ版が希望を託して幕を引く一方で、漫画版は容赦のない絶望と深い問いを残していく。そこで描かれるのは、救いのない終焉であり、人間の本質をむき出しにする残酷な真実だった。
※本記事には各作品の内容を含みます
■衝撃的なラストが何度も描かれた『鉄腕アトム』
たとえば、『鉄腕アトム』。その最終回は一筋縄では語れない。まず1966年に放送されたテレビアニメ版最終回「地球最大の冒険」では、アトムが地球を救うため太陽に突入し、そのまま帰らぬ存在となる衝撃的な展開が描かれた。灼熱の中に消えていく姿に、視聴者は言い知れぬ喪失感を覚えたことだろう。
しかしその後、1967年からはサンケイ新聞でマンガ連載が始まり、1969年の日本にタイムスリップしたアトムの姿が描かれる。やがて、ベトナム戦争の戦場に騙されて送られたアトムは、この地で住民を助けた段階でエネルギーが尽き、メコン川に沈む運命を迎えた。
時が流れて1993年、川底から引き上げられたアトムは再び復活を遂げるも、エネルギー不足により草むらで静かに眠りにつき、ついには朽ち果ててしまう……。10年後の2003年、天馬博士が新アトムを製造しようとした際、タイムパラドックスを避けるためにイナゴ人が過去のアトムの亡骸を破壊。こうしてアトムは再び“誕生”することとなった。
さらにもう1つ、1970年『別冊少年マガジン』掲載の「アトムの最後」では、未来社会を支配するロボットに立ち向かったアトムが一撃で倒され、空中の藻屑と消えるという壮絶な結末が描かれている。この物語を“真の最終回”と捉える読者も少なくない。
■多くの読者にトラウマを植え付けた『デビルマン』
『デビルマン』は、アニメと漫画でまったく別の顔を見せる。1972年から1973年にかけて放送されたアニメ版は、基本的には正義の味方としてデビルマンがデーモンを倒す勧善懲悪スタイルで、その最終回は印象的な清涼感を残す構成となっていた。
最終回には、デビルマンがかつてデーモン界で暮らしていたときの上役にあたる「妖獣ゴッド」が敵として登場。彼は明の恋人・ミキに正体をばらすと脅し、明に戦いを止めさせようとする。実際、明は一度屈するが、ミキの弟が危険に晒されたことをきっかけにゴッドと対決を決意。戦いの最中にゴッドが明の正体を暴露するも、ミキはゴッドのせいで明の姿が変わったのだと勘違いし、事なきを得る。
そしてデビルマンが勝利をおさめた後は、バイクに仲良く2人乗りをする彼らの姿が描かれた。明が後部座席のミキに「(俺を信じてくれて)ありがとよ」と感謝を伝え、彼女もまた「どんな格好になったって、中身はおんなじ明くんじゃない?」と微笑む――。バッドエンドの多い70年代アニメとしては、珍しく前向きなラストで物語は締めくくられた。
だが、同じ『デビルマン』でも永井豪氏の原作漫画版はまったく異なる終末を迎える。漫画版では、デーモンたちの策略によって人類は疑心暗鬼に陥り、人間狩りが横行。やがて明の正体も暴かれ、彼を守ろうとしたミキとその家族までもが、民衆によって惨殺されるという衝撃展開が待ち受ける。特に、ミキの生首が槍に突き刺されて掲げられる描写はあまりにグロテスクで、読者に深いトラウマを植え付けた。
人類に絶望した明は、もはや彼らを救う価値はないと判断。デビルマンたちはサタン率いるデーモン軍との最終戦争に突入し、最終的に人類は滅亡する……。あまりに救いのない展開に呆然としてしまった読者も多かったことだろう。