『ガンダム』アムロ、シャアを超える逸材…!? ジオン軍が誇る一年戦争トップの撃墜王「ブレニフ・オグス」とは何者なのかの画像
プレミアムバンダイ公式サイトより ガンプラ「MG 1/100 MS-06R-1 ブレニフ・オグス専用高機動型ザクII」(BANDAI SPIRITS) (C)創通・サンライズ

 バンダイホビーサイトには、「エース・パイロットログ(U.C.編)」というページがある。そこは宇宙世紀のガンダム史において、めざましい戦果を挙げたエースパイロットたちが取り上げられ、そのエースと愛機の戦いについて触れられている。

 そのコーナーにはサウス・バニング率いる「不死身の第4小隊」の面々や、アナベル・ガトーのようにアニメ作品でもおなじみのエースパイロットから、シン・マツナガ、ジョニー・ライデンといった「MSV(モビルスーツバリエーション)」から生まれた有名パイロットの名前もある。

 その中に「ブレ二フ・オグス」という人物がいる。ジオン公国軍を代表するパイロットだった彼は、あまり知られていないが、実は『機動戦士ガンダム』の舞台となった一年戦争において、両軍通じてトップの撃墜数を誇ったエースパイロットなのである。

 驚異的な戦績を残しながらも謎が多い、ブレニフ・オグスというエースパイロットのことを深堀りしていきたい。

※本記事には各作品の内容を含みます。

■判明している一年戦争のトップエースの情報

 ブレニフ・オグスについて記載されている資料は少ないが、初出は『機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑』(バンダイ)である。その真偽については諸説あるものの、アムロ・レイを超える撃墜数を誇った連邦の撃墜王「テネス・A・ユング」らとともに紹介されている。

 そこで紹介されたブレニフ・オグスの一年戦争時の撃墜数は、モビルスーツ(MS)193機、艦艇8隻であり、ジオン軍どころか連邦軍を含めてもトップの記録である。

 参考までに『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイの撃墜数は、MS142機、艦艇9隻と同書に書かれている。

 ブレニフ・オグスは、一年戦争では開戦時から宇宙空間の最前線で戦い続けた歴戦の勇士であり、ムダ弾を撃つことを極端に嫌い、射撃の正確性を追求したことから「ワンショット・キラー(一撃必殺)」の異名で呼ばれたという。

 戦争末期になると、ジオン上層部がトップエースを失うことによる士気低下を恐れ、彼を教導師団に移し、後進の兵の育成に当たらせた。

 存在自体が疑問視されるエースパイロットもいるが、ブレニフ・オグスの名は小説『機動戦士ガンダム0083(上)』(著:山口宏氏、監修:今西隆志氏 KADOKAWA)にも登場。地球連邦軍士官学校の現代戦史の教科書に「アムロ・レイ」や「シャア・アズナブル」、「アナベル・ガトー」らとともに名前が記載されていた。

 一年戦争では敵として戦った連邦側の教科書にまで名前があるということは、彼の存在と実績を裏づけるひとつの要素といえるだろう。

■積み重ねた数字の信憑性は?

 さらにもうひとつ、ブレニフ・オグスの戦績を語るうえで外せない事実がある。『機動戦士ガンダム 公式百科事典』(講談社)の記述によれば、ジオン公国軍の撃墜数確認は非常に厳格だったという。

 自己申告による撃墜は正式な記録と認められず、他のパイロットによる証言やガン・カメラの映像チェックも必要だったとされる。

 そのジオンで、戦後には敵軍の教科書に載るほどの記録を残したブレニフ・オグスは、両軍から称えられるべき本物のエースだったのかもしれない。

 それでは、彼はどのようにしてこの戦果を積み重ねたのか? 前述の『公式百科事典』によれば、開戦時のブレニフの乗機はザクII(MS-06F)。その後ザクIIF2型、リック・ドムと乗り継ぎ、最終的にはゲルググ・キャノンに乗っていた。

 ただし、バンダイホビーサイトの「エース・パイロットログ」のブレニフの搭乗機体の欄には、高機動型ザクIIの名もあり、ガンプラとして発売された「ブレニフ・オグス専用ザクII」も高機動型ザクIIがベースとなっている。

 また、ほかのエースが特徴的なカラーリングの機体を好むのに対し、ブレニフは愛機をパーソナルカラーに塗ることはなかった。

 基本的に温和な人物で、一年戦争末期に教導師団に移ってからは、訓練不足の新兵を出撃させることにも反対の立場をとっていたという。一説によれば自身の撃墜スコアを新兵に譲ったという逸話もあり、それが事実ならば、一年戦争時の彼の撃墜数は200を超えていたのかもしれない。

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