■嘘つきで不誠実だったあまりに悲しい半天狗
彼ら2人を「純粋な悪」だとするなら、根っからの犯罪者気質の持ち主もいる。
上弦の肆・半天狗は幼い頃から嘘つきで、自分の都合が良いように事実を捻じ曲げる性格だったらしい。常に自分が被害者側だと思い込み、周囲の人間を悪者に仕立て上げていた。
ここまでであれば、程度の違いこそあれ、身に覚えのある人もいるかもしれない。
しかし半天狗の被害者気質や生来のズルさは常軌を逸しており、自分の名前や年齢、生い立ちをその場その場で変え続けたために、自分が本当は何者なのかを忘れてしまう。そして何度か妻と子どもがいたことがあったが、虚言癖や不誠実さを責められた結果、逆上し妻子を殺すということを繰り返してきた。
その後、老齢になった半天狗は、「盲目の老人」が生きるうえで都合がいいと気づき、以降は盲目のフリをして生きている。原作漫画では半天狗が自らの罪を暴かれる死の直前の走馬灯が見開き2ページにつぎはぎで描かれているが、彼の人生自体も目的の一貫しないつぎはぎのような虚しいものだったのだろう。
鬼のような人間もいれば、悲しい鬼も、そして人間でも鬼でもそう変わらないタイプもいる。共通していえるのは、人間時代に同情の余地がない人生を送ってきた鬼は、鬼になってもその戦法や理念はあまり変わらないということだ。彼らこそが、あまりにも悲しい存在だといえるのかもしれない。