『鬼滅の刃』同情の余地もない「鬼が人間だった頃」の非道エピソード 「ある意味、悲しすぎる…」の画像
(c)吾峠呼世晴/集英社 (c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

 7月18日より公開される映画『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』で、いよいよラスボス・鬼舞辻無惨の戦いが最終局面へと向かう。原作となったのは吾峠呼世晴氏による同名漫画で、アニメ放送から人気に火がつき、一時期はコミックス全巻が各書店で売切続出するなど社会現象を巻き起こした作品だ。

 鬼たちと、鬼殺隊と呼ばれる隊士たちの戦いを描く『鬼滅の刃』。コミックス発売時のポスターなどで「これは、日本一慈しい鬼退治。」というキャッチコピーがつけられていたように、主人公・竈門炭治郎が敵である鬼に対しても情を持って接するシーンが印象的な作品だ。

 それをはじめに印象付けたのは、最終選別の手鬼である。彼は炭治郎が初めてちゃんと戦った鬼で、初めて鬼側も根っからの悪ではなく、人間時代に悲しさを抱えていたことが分かったストーリーである。

 作品に登場する鬼たちは、もともとみな人間だ。事情は様々あるにせよ、中には人間時代に虐げられ、どちらが鬼だか分かったものではないというほどの重い過去を背負った者もいる。

 そんな彼らと炭治郎らが心を一瞬でも通わせるシーンは涙を誘う……のだが、中には全くそのような同情できる過去はなく、根っからの悪人が鬼になってさらに暴虐の限りを尽くすというキャラクターもいた。

※本記事は、作品の内容を含みます。

■人間時代から変わらなかった鬼たち

 作中ではそういったパターンの鬼の過去は描かれることが少ないが、公式ファンブックなどではその詳細が明かされている。

 たとえば、無限列車で炭治郎たちと交戦した下弦の壱・魘夢の過去。魘夢は血鬼術で催眠術の要領で相手を眠らせ、意のままの夢を見せるという心理攻撃を行う。作中では炭治郎に家族の夢を見せたり、また望みの夢を見せてやるという条件で一般人に炭治郎らの精神の核を破壊するよう持ち掛けていた。

 そんな彼は公式ファンブックによると、人間時代、子どもの頃から夢と現実の区別がつかず周囲を戸惑わせる人間だったらしい。成人後は医者でもないのに余命短い人間に催眠療法を悪用し、健康になったと喜ばせてから実は全部嘘だったとバラすという、非道極まりない行為を繰り返していたようだ。

 人間時代の記憶を忘れている鬼も多い中、魘夢の人間の心を軽んじる態度は、偶然なのかどちらにも共通している。特に「幸せな夢を見せた後、悪夢を見せてやるのが好きなんだ」という作中のセリフそのままの人間だったといえるだろう。

 『刀鍛冶の里編』にて霞柱の時透無一郎と戦った上弦の伍・玉壺の人間時代にも触れたい。人型ではない彼は、本編でも何から何までが不気味な存在だった。

 玉壺は公式ファンブックによると人間時代の名前を益魚儀(まなぎ)といい、漁村生まれだったようだ。鬼となった後の姿や水や魚に関連する血鬼術からも納得である。

 人間の頃から魚の死骸を集めるなど変わった趣味を持ち、周りから気味悪がられていた益魚儀だが、幼いころに両親を水難事故で亡くしていたためにおかしくなってしまったのだと、村人は彼を追い出すことなく静かに見守っていた。

 しかし、ついには自分のことをからかった子どもを殺し、壺に詰めるという事件を起こす。そして、子どもの両親に報復され死にかけていたところを、偶然通った無惨によって鬼にされた。

 魘夢にしろ玉壺にしろ、生まれながらに感性が変わっていたり、人間らしい感情が抜け落ちているため、鬼になっても特に性格が変わることなく自分勝手な行動を繰り返していたのだろう。全く同情できないと思う一方で、人間時代の彼らを変えるような出会いや出来事さえあれば、何かが変わっていたかもしれないと思ってしまう。

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