
「『悪い事をする敵』というものは『心に弱さ』を持った人であり、真に怖いのは弱さを攻撃に変えた者なのだ」
能力バトル漫画のレジェンド『ジョジョの奇妙な冒険』(集英社)の作者、荒木飛呂彦氏は、単行本46巻でこんなコメントを残している。当時連載中だった第4部では「4部になってから敵が弱くなったんじゃないか」という意見が多かったらしく、それに対する荒木氏の考えだという。
『ジョジョ』の悪人というと、強力なスタンドで主人公を追い詰めるキャラが多いが、そんな彼らが「心に弱さを持っている」とはどういうことだろうか。各部の最後に立ちはだかる強敵、いわゆる“ラスボス”にも、その考えは反映されていたりするのだろうか。
今回は『ジョジョ』の歴代ラスボスキャラの一部を振り返り、彼らがどんな「心の弱さ」を持っていたか考えていく。
※本記事には作品の内容を含みます
■吉良吉影~「平穏」を望みながらも行動は真逆~
まずは、前述したコメントが掲載された第4部「ダイヤモンドは砕けない」のラスボス、吉良吉影からだ。
吉良は爆弾を操るスタンド「キラークイーン」を持つ連続殺人鬼であり、物語の終盤では時間を巻き戻す「バイツァ・ダスト」に覚醒。4部の主人公・東方仗助たちを最後まで苦しめたラスボスにふさわしい強敵だったが、彼の心の弱さとはなんなのだろうか。
吉良の行動原理は「植物の心のような人生」に例えられるような、平穏な生活を送ることだという。吉良の家には子どもの頃の賞状やトロフィーが多く飾られているが、すべて第3位だった。これは、本気を出せば一番を獲ることもできたが、注目を集めないようにあえて3位以下を狙っていた、とされている。
大人になってからはしがないサラリーマンとして目立たないように過ごし、悪癖である殺人も「キラークイーン」で隠蔽し続けた吉良。仗助たちに気づかれるまで誰にも咎められることもなかった彼は、望み通りの人生を送ってきたといえる。
だが、吉良の言動を追ってみると、彼が平穏だけを求めていたとは考えづらい。
殺しの証拠を目撃した“重ちー”こと矢安宮重清と対峙したときは「闘ったとしても私は誰にも負けんがね」と、自分の実力をひけらかす態度をとっている。
さらに、「バイツァ・ダスト」で邪魔者を一掃できると確信したときは「『バイツァ・ダスト』は 無敵だッ! そしてこの吉良吉影に『運』は味方してくれているッ!」と高笑い。続いて「わたしの『本名』を言っちゃったかなァ~~!」と、隠すべき本名をむしろ自慢気に口にした。
吉良は目立たないように生きたいと語る一方、自分の力や存在をひけらかしたいプライドを抱えていたのだろう。
本当に目立ちたくないのなら、第3位でも賞状をもらう必要はないはずだし、殺人衝動を抑える努力をすべきだ。そうすれば仗助たちに追われることもなく、きっと静かに生きられただろう。だが、吉良は他人に侮られることも自分が耐えることもできなかった。
己のプライドと折り合いをつけられず、そのツケを他人に求める……それが吉良の「弱い心」なのだろう。
■ディアボロ~娘をも手にかける底抜けの用心深さ~
第4部に続く第5部「黄金の風」のラスボス、ギャング組織「パッショーネ」のボス・ディアボロも、心の弱さが全面に出されているキャラだ。
時を消し飛ばすスタンド「キング・クリムゾン」で無敵を誇った男だが、最後はジョルノ・ジョバァーナの「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」により、“死”という結果に永遠にたどり着けない生き地獄へと落とされた。
ディアボロが無残な末路を辿ることになった最初のきっかけは、彼の慎重すぎる性格だ。「パッショーネ」のボスという立場から、ディアボロは自分の正体を知られることを極端に嫌っている。おそらく暗殺や逮捕に繋がってしまうからだろう。
本編では、実の娘であるトリッシュ・ウナが自分への手がかりになると考え、利用される前に始末しようと画策する。組織の幹部のブローノ・ブチャラティに警護と偽ってトリッシュを自分の元に連れてくるように命令し、自らトリッシュに手をかけた。
つまり、ディアボロは、身の安全を確保したい一心で実の娘を殺そうとしたわけだ。用心深い性格を通り越して、猜疑心が強すぎるといえる。
私たち読者も「あれがバレたらどうしよう」と思い悩む秘密を持っているのは当たり前である。その不安に耐えられない心の弱さが、ディアボロを娘殺しの凶行に走らせたのだ。
ディアボロは結局トリッシュを始末できず、ブチャラティの離反を引き起こし、ジョルノとの敵対につながっていく。自分を守ろうとした行動が破滅への引き金になってしまった。石橋も叩きすぎれば壊れる……というやつだ。