■戦時中、上に立つ者としてのガルマ
ガルマとシャアは、士官学校の頃から友人関係だった。第6話でガルマはシャアの私室に勝手にあがりこみ、シャワーを浴びている最中のシャアに話しかけるシーンがある。
いきなりガルマから声をかけられたシャアも大して驚きもせず、穏やかに会話を続けていた。もちろんシャアの内面にはザビ家に対する復讐心が第一にあるわけだが、表面上は仲の良い友人同士にしか見えない。だが、これもガルマを信用させるための策略だったのだろう。
そしてガルマは、ニューヤークの前市長エッシェンバッハの娘であるイセリナと恋仲になる。ジオンを敵視する有力者の娘に入れ込むガルマを、シャアは「前線でラブロマンスか。ガルマらしいよ、お坊ちゃん」と陰で笑っていた。
もしもイセリナが悪女だったら、ガルマはいいように利用されていたはず。前線を預かる司令官としてあるまじき行動ではあるし、シャアの指摘は当然のものだろう。
だが実際は、イセリナもガルマのことを本気で愛していた。結婚を反対された父を裏切っても構わないというイセリナに対し、ガルマは戦果をあげて父デギンを説得すると約束する。それが叶わなければ「私もジオンを捨てよう」とまで言った。
これがラブストーリーであれば理想的な王子様の発言である。しかし、残念ながら『ガンダム』は戦争が舞台だ。結婚を認めてもらおうと功を焦ったガルマは、司令官の身でありながら最前線に出て、まんまとシャアの策に引っかかってしまった。
言ってしまえば彼の甘さと油断が、命取りになったのである。司令官というだけでなく一国の支配者の息子としても、あまりに軽率な行動と言わざるを得ない。
しかし総じてガルマの根本はお人好しの善人であり、優しい人物だった。彼がザビ家の人間ではなかったら、シャアとも本当に良い友人になれたかもしれない。
■死後、浮き彫りになったカリスマ性
再度シャアの奸計にハマり、ガルマの乗るガウはホワイトベースの集中砲火を浴びて爆散する。ガルマの最期のセリフ「ジオン公国に栄光あれ!」は、軍人らしい気迫に満ちた言葉だった。
ガルマの死を受けて「このままでは済ませません」という彼の部下たちは仇討ちに出撃。ガウの機上には、同行を志願したガルマの恋人イセリナの姿もあった。
戦闘機やモビルスーツの援護もなしに3機のガウ攻撃空母のみでの弔い合戦は明らかに無謀だったが、部下たちにそこまでさせたのは、ガルマの人徳とカリスマ性によるものだろう。
ガルマの父デギンは愛息の死に塞ぎ込み、静かな葬儀を望む。しかし、長兄のギレンはジオン国民の戦意高揚のため、大々的にガルマの国葬を行うことを提案する。そのときギレンは「ガルマは国民に大変人気があったのです」と語っていた。
実際、ジオン公国の首都・ズムシティで執り行われたガルマの国葬には、大勢の国民が参列。彼の人気ぶりを証明してみせた。そしてガルマの国民人気は戦意高揚のため、プロパガンダに利用されたのである。
そこまで『機動戦士ガンダム』に詳しくない人にとって、ガルマ・ザビはシャアから「坊や」呼ばわりされた単なる甘い人間という印象だったかもしれない。たしかにガルマは、ギレンやキシリアのような知謀、策謀に長けた人物ではないし、ドズルほどの圧倒的な武勇もない。しかし、彼はジオン公国の国民から愛され、兄のドズルが高評価する逸材だった。
ガルマが地球で散ったのは、シャアがしかけた巧妙な罠と、彼自身の甘さが招いたことだ。もう少し慎重になり、彼が地球で生き延びていたら、ジオンの歴史にどれだけの影響を与えただろうか。あるいは平時であれば、彼のような人物こそが理想的な指導者になれたのかもしれない。