『仮面ライダー』『サイボーグ009』『人造人間キカイダー』…石ノ森章太郎作品「重すぎる最終回」が描いたもの の画像
石ノ森章太郎『仮面ライダー』(中央公論新社)

 「石ノ森章太郎」という名を聞いたとき、彼を特撮ヒーローや子ども向けアニメの巨匠として思い浮かべる読者は多いだろう。だが、その筆致は決して軽やかではなかった。むしろ彼が描いた漫画には、読者の心に深い傷を残すほどの重厚なテーマが込められており、「人間とは何か」、「正義とは何か」を鋭く突きつけてくる。

 その象徴的な作品と言えるのが、『仮面ライダー』、『人造人間キカイダー』、『サイボーグ009』である。いずれも特撮やアニメ版とは一線を画す“重すぎる最終回”を迎えており、読後にズシリと鉛のような感覚が残るラストとなっている。

 今回は、これらの最終回を振り返りながら、そこに込められた石ノ森さんのメッセージを再考していきたい。

※本記事には各作品の内容を含みます

■現代に通じるテーマも描かれた『仮面ライダー』

 まずは『仮面ライダー』の漫画版。1970年代初頭に描かれた本作は、多くの人が頭に描く特撮ヒーローもののイメージとはまるで異なる。

 主人公・本郷猛は名家の御曹司で生物学を研究する大学生だったが、悪の秘密結社ショッカーに捕まり、バッタの改造人間にされてしまう。脳改造寸前で逃げ延びたことで命こそ助かるが、恩師・緑川博士の死や怪人たちとの死闘を経て、本郷は「自分はすでに人間ではない」と自覚していく。

 物語中盤では、12人のショッカーライダーが登場。そのうちの1人、一文字隼人は頭を銃で撃たれたことで洗脳が解けるが、本郷はショッカーライダーたちに囲まれ、レーザー銃で撃たれて死亡してしまう。

 そしてその後、なんと本郷が“脳だけの存在”として登場する凄惨な展開に突入。隼人もまた過酷な運命に翻弄される。故郷の村はショッカーの実験場にされ、洗脳された父親を自らの手で殺すことに。また、隼人は白血病の少年・浩二をよく見舞っていたのだが、彼も無情にも命を落としてしまう。

 やがて、隼人はショッカーの「10月計画(オクトーバー プロジェクト)」の真相にたどり着く。富士の地下にある巨大コンピューターと、市販されたテレビ・腕時計を連動させることで、日本国民を一斉に洗脳・管理しようという壮大な陰謀だ。

 この設定は、スマホやSNSに依存する現代社会の姿を先取りしていたようにも感じられるが、さらに怪人・ビッグマシンの口から語られる“もともと政府主導だった”、“国民1人1人を番号で管理する”という事実は、現代の「マイナンバー制度」をも連想させる。

 浩二の姉・順子が漏らした「人類の科学文明は戦う相手を間違えた」というセリフは、科学の進歩が弱者を救うのではなく、管理や支配の道具になってしまった現実を鋭く告発。石ノ森さんが現代にも通じる普遍的なテーマを扱っていたことがよくわかる。

■“人間”とは一体何なのか…『人造人間キカイダー』

 続いては『人造人間キカイダー』。こちらも「正義のヒーロー」として知られているが、原作ではその陰影がより深く描かれている。

 主人公のキカイダー(ジロー)は、「良心回路」という人間的倫理を搭載された未完成の人造人間。彼は完全でないからこそ葛藤し、悩み、心を持つ機械として苦しみ続ける。兄弟機である01(ゼロワン)や00(ダブルオー)、女性型ロボット・ビジンダーとの交流がささやかな救いであったが、最終回はそれらをすべてを打ち砕く。

 キカイダーと仲間たちは敵に捕らえられ、「服従回路」を埋め込まれて洗脳されてしまう。しかし、仲間たちが忠実な下僕に変貌していった一方、キカイダーは「良心回路」のおかげでかろうじて正気を保っていた。そんな中、ハカイダーが生み出した最終兵器「アーマゲドン」を撃墜しようとする犯罪組織「シャドウ」の攻撃が始まる。

 そこでハカイダーが迎撃に向かうと、キカイダーは“ボクもシャドウを迎撃し、世界征服に貢献したい”、“不完全な良心回路が強力で完全な服従回路に敵うはずがない”と巧みに「嘘」をつき、ビジンダーに拘束を解かせるのだ。

 そして自由を得たキカイダーは、かつて仲間だったビジンダー、01、00の3体を自らの手で破壊。さらにハカイダーも光線で撃ち抜き、人類を救出するのだった。

 勝利の後、ジローの心に残ったのは、虚無と悲しみだけ。最終ページの「…だが ピノキオは人間になって ほんとうに 幸せになれたのだろうか……?」というナレーションとともに物語は終わり、石ノ森さんが一貫して描いてきた「人間とは、善と悪の両面を抱えて生きる存在である」という思想がにじんでいるように思える。

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