「打ち切り」報道は寝耳に水…昭和アニオタは「1979年の機動戦士ガンダム」をどう楽しんでいたのか?【昭和オタクは燃え尽きない】の画像
「機動戦士ガンダムDVD-BOX 1 特典フィギュア付(完全初回限定生産)」(バンダイビジュアル) (C)創通・サンライズ

 1979年(昭和54年)4月7日、毎週土曜日17時30分から、テレビアニメ『機動戦士ガンダム』の放送が名古屋テレビとテレビ朝日系列で始まりました。記念すべき第1話のサブタイトルは「ガンダム大地に立つ!!」。

 ……ですが、当時の私といえば、友だちの薦めで早い段階から『ガンダム』の存在を知りながら、本当にしょうもない理由で視聴を避け続けた残念すぎるオタクの卵だったのです。

 そんな私が周囲の盛り上がりに誘われ、放送開始から半年以上も経過した11月、第34話「宿命の出会い」にてようやく『ガンダム』を初視聴。アニメ雑誌で見た読者投稿やアニパロ知識を鵜呑みにしていた私が、ガンダムに対して盛大な“勘違い”をしながらの視聴でしたが、いつしかその魅力に心奪われるのでした。

■昭和アニメの視聴環境のリアル

 当時、昭和の小学校に週休2日制は導入されておらず、月曜日~金曜日までの平日の時間割は5時限(※6時限の曜日もあり)まで。土曜日は俗にいう“半ドン”で、午前中の3時限で授業が終わりました。学校のクラブに入っていた私は、土曜の16時に終わると急いで帰宅し、ガンダムが始まる17時30分前にテレビの前に正座待機するのも余裕でした。

 ところで『ガンダム』が最初に放送された1979~80年当時「家庭用ビデオデッキ」は超高級品で、1976年に日本ビクターが発売したVHS第1号の定価は「25万6000円」。大卒初任給が10万円程度だった時代なので、庶民にとっては高嶺の花。80年代中頃から「レンタルビデオショップ」が増え始めたことをきっかけに、ようやく一般家庭にも「ビデオデッキ」が普及し始めるのです。

 つまり『ガンダム』放送当時の子どもにとって、アニメ本放映は“一期一会”といっても過言ではなく、テレビ局の気まぐれのような「再放送」で見逃し回を補完し、好きなエピソードを摂取したわけです。

 例にもれず、一般家庭の我が家にビデオデッキなどありませんでしたが、それを補うための電化製品がひとつだけありました。父親が習い事(民謡が趣味でした)のために買った、かなり大きな「ラジカセ」です。

 我が家には「てんとう虫レコードプレーヤー」と呼ばれるような小さなレコード機器もありましたが、絵本に付随していたソノシートを聞くのが関の山。アニメのレコードなんてめったに買ってもらえません。それに、あるときたくさんのアニメ主題歌が入ったカセットテープをねだったら、「……なんか(歌っている人が)違う」という悲劇にも見舞われたのです。

 そこで「本物のアニメ主題歌を、いつでも聞きたい!」という願いを叶えるために、私は大好きなアニメ主題歌とエンディング曲を、父親のラジカセでせっせと録音しはじめます。この時代、アニメの主題歌や名場面を放送するテレビ特番がけっこう多く、こうしたテレビ番組から録音していた私は、ふと……気づいたのです。

「待てよ? 主題歌だけじゃなく大好きなテレビアニメ『サイボーグ009』(1979年放送)を30分丸ごと録音したら、毎日島村ジョーの声が聞けるじゃないか」と。

 それ以降、私は『ガンダム』でも放送を何度も楽しむため、ラジカセに60分録音できるカセットテープを入れて茶の間のテレビの前に置き、第37話「テキサスの攻防」から録音をはじめます。

 といっても外の音が入らない「録音ケーブル」のような存在は知る由もなかったため、母親の怒声や生活音がバシバシ入るなかテレビ音声を録音。たまに、親にお使いに行かされてテレビ前にいられないときは妹が協力し、ラジカセの録音テープを見張ってくれました。

 私のアニメ好きを熟知していた母親ではありますが、声が出ないように両手で口を押さえながらガンダムの音声を“ダイレクト録音”している娘の背中を、どのような気持ちで見ていたのでしょうか。

 大人になった今となっては「あの時代、親は文句をいうだけでよくガマンしてたな」と、ありがたさと同時に当時の自分の必死さに恥ずかしさを覚えます。

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