
“漫画の神様”と謳われた巨匠・手塚治虫さんが手掛けた医療漫画『ブラック・ジャック』。無免許医師のブラック・ジャックと患者との間に繰り広げられる人間ドラマが見どころの本作だが、なかには運命のいたずらによって、思いがけず悲劇的な結末を迎えてしまったエピソードも登場している。
後味の悪さから多くのファンの心に爪痕を残した、珠玉のエピソードの数々を見ていこう。
※本記事には作品の内容を含みます
■黒い医者たちの死生観が真っ向からぶつかり合う…「ふたりの黒い医者」
さまざまな難病や怪我に苦しむ人々を救う天才外科医のブラック・ジャック。そんな彼と対極の存在として登場するのが、安楽死を請け負うドクター・キリコである。
医者としての思想や手法もまるで真逆の2人だが、そんな彼らの対決が思わぬ結末を迎えてしまうのが、「ふたりの黒い医者」なるエピソードだ。
交通事故により、首から下をまったく動かすことができなくなった女性が安楽死を求めキリコを呼びつけるのだが、ブラック・ジャックもまた彼女の子どもたちから母の治療依頼を受けていた。
母親を生かすべきか、殺すべきか……それぞれの思いをぶつけ対立する二人だったが、ブラック・ジャックがキリコに大金を払って患者を引き取り、卓越した手術で母親を治すことに成功する。
ハッピーエンドかに思われたが、この後、物語は思わぬ結末を迎えることに……。
後日、なおも互いの死生観について意見をぶつけ合うブラック・ジャックとキリコだったが、そこにまさかの知らせが舞い込んでくる。なんと、助けたはずの母親が家族もろとも交通事故にあい、全員死亡してしまったというのだ。
残酷な運命のいたずらに愕然とするブラック・ジャック。高笑いとともに去っていくキリコに対し、彼は「それでも私は 人をなおすんだっ」と叫ぶのだった。
これまで、数々の患者を救ってきたブラック・ジャックだが、自身の腕をもってしても運命を変えることはできない……その痛烈な現実は、ブラック・ジャック本人はもちろん、読者までをも大いに絶望させてしまったことだろう。
2人の医者の対立のみならず、綺麗事ばかりではない現実の非情さをも容赦なく描いた、重厚なエピソードであった。
■黒い医者たちをも愕然とさせた抗えない強大な理…「浦島太郎」
先述したドクター・キリコだが、彼はほかのエピソードにもたびたび登場している。なかでも、ブラック・ジャックともに奇妙な事例に巻き込まれ、なんとも後味の悪い結末を迎えたのが「浦島太郎」なるエピソードだ。
今回の患者は15歳のときに炭鉱事故に巻き込まれ、昏睡状態となっていた“Cさん”と呼ばれる男性。55年間も眠りについていた彼だが、なんとその肉体はいっさい衰えておらず、10代の若々しい姿を維持していた。
ここでもブラック・ジャックとキリコは患者の生死についての熱い議論を交わすのだが、ブラック・ジャックの施した開頭手術により、Cさんは数十年ぶりに目を覚ますこととなる。
手術の成功を一時は喜んだ医者たちだったが、目を覚ましたCさんの肉体は急激な“老化”を始めてしまい、なんと一気によぼよぼの肉体に変貌してしまった。
数十年ぶりの時の流れが襲い来るなか、Cさんは周囲の医師たちに「なぜぼくを起こした? なぜ そっとしておいてくれなかった?」と言い、こと切れてしまう。
目を覚ました患者が老衰によって亡くなった事実に、執刀したブラック・ジャックはもちろん、それを聞かされたキリコも茫然とするほかなかった。
医者として、そして人間としての無力さにキリコまでうなだれてしまうなか、ブラック・ジャックは声を振り絞って「おれたちはばかだっ!」と言うのだった。
時の流れというあまりにも強大な理に打ちのめされる2人の姿を前に、患者にとっての幸福とはなんなのかを、思わず考えさせられてしまうエピソードである。