車田正美先生が手掛けた『聖闘士星矢』は、1985年12月より集英社の『少年ジャンプ』に掲載され、2025年で40周年を迎える息の長い人気作品である。
同作は、車田先生の生み出した魅力的なキャラクターの宝庫であり、さまざまなスピンオフ作品も生まれ続けている。そして、今も昔も「黄金聖闘士(ゴールドセイント)」の人気は絶大だ。
しかし、そんな人気者ぞろいの黄金聖闘士でありながら、作中屈指の嫌われ者といわれているのが「蟹座(キャンサー)のデスマスク」である。
だが、はたして彼は嫌われ者な“だけ”の存在なのだろうか。実は長年、ひそかに彼のファンでもある筆者が、デスマスクの魅力について女性目線を交えながら語っていきたい。
■年長者には折り目正しく、弱者に対して情け容赦ない卑怯者!?
神話の時代より女神アテナを守護し、地上の平和を守った「聖闘士」たち。その頂点に立つ「黄金聖闘士」の肩書を持つのが「デスマスク」である。
十二宮のひとつ巨蟹宮を守護するが、そこはデスマスクに殺された死人の顔で埋め尽くされており、多くの魂が成仏できずに漂う凄惨な場所でもあった。「デスマスク」という通称は、この“死人の顔”が由来とされ、墓石にまで「DEATH MASK(デスマスク)」と書かれた、本名不明の謎多き人物だ。
巨蟹宮で戦った格下のドラゴン紫龍を無慈悲にいたぶり、彼の無事を祈る少女・春麗にまで手をかけたことで、弱者に対しても容赦ない「卑怯者」の肩書まで追加された。
23歳の成人男性(デスマスク)が14歳の少年(紫龍)に正論で殴られ、13歳の少女(春麗)の祈りにイラついた結果、コテンパンにのされ、自分を“選んでくれた”聖衣にまで見捨てられてしまうのだから、いろいろな意味で残念なキャラといえるだろう。
そんな極悪非道な男デスマスクは、敗れた際に「あじゃぱァーッ!!」と叫んだり、「マンモス憐れなヤツ!! 」「い~~かげんにしろっぴ!」などと、なぜか「のりP語」を操ったりと、読者を笑いと困惑の渦に叩き込んだことでも知られている。
だが、デスマスクの初登場となった五老峰のシーンでは、同格の黄金聖闘士とはいえ年長者の老師に対して、「拳をむけることはおそれおおい」や「お命ちょうだいする」など、物騒ながらも丁寧な言葉遣いだったのを忘れてはならない。
それにイタリア出身でありながら「井の中の蛙」などの格言を用い、後述するが自身の必殺技にまつわるマメ知識を語るなど、学のあるところを披露していた。
作中では早々に教皇(双子座のサガ)が「悪」であることを知りながら、忠誠を誓っていたとも語っており、いろいろな意味で“キレ者”だった。
さらに「正義と悪の定義は時の流れで変わる」と、一貫した「悪の考え方」を主張するデスマスクに筆者はシビれたのだ。
■「カニ」なのにどうしてカッコイイ? 聖衣装着で魅力度アップ!
冬の高級具材として日本人に愛され続ける「蟹(かに)」。その蟹をモチーフにしたキャラにスタイリッシュさを感じたことはなかったが、デスマスクの登場でその印象は一変した。
個人的な見解ではあるが、聖闘士の多くは聖衣をまとうことで、4~5割増しで“イケメン度”が増す。たとえば、第1話のアイオリアは質素な私服姿もあいまって単なる“地味メン”に見えたが、星矢たちを粛清するため獅子座(レオ)の黄金聖衣姿で再登場した際は、あまりにも高貴なたたずまいで多くのファンを魅了した。
だが、アイオリアが「獅子」なのに対して、デスマスクは「蟹」である。背負った生物の段階で、あまりにも大きな格差があったのは、くつがえしようのない事実であろう。
ところがデスマスクは、本来ならおもしろコスチュームになりそうな「蟹足を模したマスク」や「ハサミつきの聖衣」を見事に着こなしていた。それはある意味すごいことだ。
まさに車田先生が手がけた秀逸な聖衣デザインのおかげで、筆者的には聖衣をまとったデスマスクは7割ほどイケメン度合いがアップしていたのである。