『ススムちゃん大ショック』に『くずれる』、『赤いチャンチャンコ』も…鬼才・永井豪が手がけた「震えるほどゾッとする」短編漫画の世界の画像
「怖すぎる永井豪~ススムちゃん大ショック編~」(徳間書店)書影より

 巨匠が描く短編漫画には、恐ろしい作品が少なくない。藤子・F・不二雄氏は『ドラえもん』や『パーマン』など児童向け漫画家として知られるが、大人向けのブラックな味わいがある短編作品も描いている。

 ヒューマニズムにあふれた作品を数多く遺した“漫画の神様”こと手塚治虫氏も、不気味で恐ろしい短編をいくつも発表していた。

 では、『デビルマン』や『バイオレンスジャック』など、ふだんから恐ろしい作品を描いてきた永井豪氏の短編はどうなのだろうか? 逆にほのぼのとした短編ばかりということはないだろうか? そんなわけはない。これが本当にトラウマ級の恐ろしさなのだ。

■問答無用のトラウマ漫画『ススムちゃん大ショック』

 まずはトラウマ漫画の金字塔として有名な作品から紹介しよう。『ススムちゃん大ショック』は、大人たちが何の理由もなく子どもたちを殺しはじめる、残酷極まりないスプラッタホラーだ。

 ある日の朝、小学生のススムの前で、突然、母親たちが幼い我が子を惨殺しはじめる。まだよちよち歩きの幼児の顔を容赦なく蹴り、踏み潰して殺したあと、談笑している母親たちを目の当たりにして、信じられない気持ちになるススム。街に出れば、警官が子どもを射殺し、車が女児を轢き殺していた。大人たちによる子どもの虐殺が始まっていたのだ。

 地下の下水道へ逃げ込んだススムは、同じように逃げてきた友人たちと合流する。ラジオを聞いても、子どもが殺されていることがまったくニュースにならないことを不審がるススムに、何かを悟ったような友人は衝撃的な言葉を浴びせる。「ネズミやゴキブリを殺してもニュースにはならない!」。

 親と子をつないでいた本能の糸が、何らかの理由で切れてしまった。だから大人が子どもを躊躇なく殺すのだ。そう説明する友人の言葉をススムは信じることができない。ススムは大好きなママの元へと帰るのだが……。

 同作の初出掲載は1971年の『週刊少年マガジン』(講談社)。うっかり目にしてしまった子どもたちは不条理な恐怖に震えたはず。

 ネグレクトや虐待など、親が幼い我が子を遊び半分で殺す事件が当たり前のように報道されるようになった昨今、まったくの絵空事とはいえなくなってしまったのが何よりも恐ろしい短編である。

■現実と虚構の境目がなくなる恐怖『くずれる』

 続いて紹介する『くずれる』はシュールなSF作品だ。街を歩いている青年・木村が、突然見知らぬ中年男に声をかけられるところから始まる。男は「連絡をよこさないからみんな心配してる」と言うが、木村には心当たりがない。その後、ふたりのあとをつけてきた男たちを、中年男は怪光線の出る銃で皆殺しにしてしまう。

 驚く木村のことを「ビオ」と呼ぶ中年男は、彼のアジトへ連れていく。そこには、やはり木村を「ビオ」と呼び、大喜びで出迎える人たちがいた。彼らは地球侵略をもくろむ「ボア星人」であり、木村もその仲間だという。

 中年男が人間の顔のマスクを外すと、グロテスクな本当の顔が現れた。まわりのボア星人たちも次々と正体を現し、木村に「あなたもマスクをとっちゃったら」と呼びかける。ボア星人たちは、木村は事故で記憶をなくしただけだと説明し、それを聞いた木村は衝撃を受ける。

 ところが驚きの展開が待っていた。なんとすべて木村の友人たちのイタズラだったのだ。今でいうところの「ドッキリ」である。ボア星人の顔はすべて二重マスクだった。

 ネタバラシのために素顔に戻った友人たちが木村のところへ戻るが、追い詰められた木村の顔は「ズルッ」と……。

 虚構が現実を凌駕してしまう恐怖もさるところながら、シンプルに絵柄がエグくて怖い。これも初出は1971年発行の『週刊少年マガジン』だった。このようなシュールな作品を掲載できる当時の少年漫画誌は、今よりもずっと間口が広かったと思わざるを得ない。

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