歌手活動、タレント、イラストレーターと縦横無尽に活躍する中川翔子さん。04年11月に『しょこたん☆ぶろぐ』を開始して以来、オタク知識や猫への愛など、実にさまざまな話題を読者と共有してきた。彼女はいかにしてディープなオタクとなり、芸能界デビュー後、いかなる流れでブロガー、アニソンシンガー、声優、オタク系カルチャーの発信者として輝く存在となったのだろうか?(第3回/全3回)
アニメ、ゲーム、特撮……オタクとしての原体験は?
──中川さんがオタク化したきっかけについて、ここで一度、整理させてください。中川さんにとって、オタクになる原体験とは何だったのでしょうか?
中川 ゲームは、最初のころはスーパーファミコンですね。『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』 を母に無理やりやらされて。それで、“この世って、こんなに面白いものがあるのか”って、脳が開いた感じがしちゃったのが始まりですね。小学2年生で、レベル8(8歳)の頃になります。アニメだと、世代的にやっぱり『美少女戦士セーラームーン』の第1話の鐘が鳴った瞬間。“これは革命だ”みたいになったのも覚えています。それのおかげで、絵を熱心に描くようになったんです。叔母が、くらもちふさこ先生のアシスタントをしていたので、絵がめちゃくちゃ上手くて。私も上手くなりたいと思って練習していました。
──アイドルにもお詳しいですよね。
中川 思春期に松田聖子さんのアルバムに一目惚れしたのがきっかけです。帰りの電車賃が足りなくなるのがわかった上でそのアルバムを買いました。それも人生が変わった瞬間でした。
──特撮は『スーパー戦隊シリーズ』がきっかけですか?
中川 幼い頃、祖父が本当に父親代わりで、後楽園ゆうえんちの「ヒーローショー」に、ほぼ毎週土日に連れてってくれていました。それが、すごく幸せで。
──なんと、毎週土日に“僕と握手”を体験していたのですか!
中川 そうなんです。その後、レベル15(15歳)になった頃、『未来戦隊タイムレンジャー』が大好きになったんですよ。タイムピンクに変身するユウリ役の勝村美香さんに憧れて。髪型やメイクとか真似して、握手会にも行きました。
当時はまだ後楽園ゆうえんちに野外劇場っていうのがあって、ジェットコースターからレッドが登場するんですよ。それが最高すぎました。『タイムレンジャー』の野外劇場最後の日にも行ったんですけど、そのときは、ジェットコースターで『バトルフィーバーJ』のバトルジャパンが登場したんです。それで、 “昭和の戦隊もカッコいいじゃん”と、『スーパー戦隊シリーズ』をさかのぼって調べていきました。