1954年に産声を上げた、日本が世界に誇る怪獣映画シリーズ『ゴジラ』。2023年には最新作『ゴジラ-1.0』が公開となり、日本だけにとどまらず世界的に大ヒットを記録した。第96回アカデミー賞においては邦画・アジア映画史上初めて視覚効果賞を受賞するという快挙を成し遂げ 、社会現象を巻き起こしたのも記憶に新しい。
そんな『ゴジラ』はすでにシリーズ通算30作品を数え、2024年で生誕70周年を迎えるなど、その歴史は非常に長く、オリジナル公開当時はモノクロ映画であった。そのため『ゴジラ』という作品はモノクロでこそ真価を発揮し、本当の恐怖を我々観客にもたらすのである。ここでは、モノクロ映像版ならではの『ゴジラ』の恐怖を紹介しよう。
■戦争、水爆……初代『ゴジラ』 が描く人間の愚行
いまだ戦争による傷跡が癒えず、人々が大きな不安を抱えながら生活していた時代。そんな不安を“怪獣”という形で具現化した作品が『ゴジラ』だった。
水爆実験の影響で、大戸島に伝わる伝説の怪獣ゴジラが復活し、東京へと襲来。街が軒並みなぎ倒され、人々が恐怖のどん底へと突き落とされるさまはまるで戦時中の日本を見ているかのようである。
戦争もとい原爆の化身であるゴジラに対して、当時の人々が恐怖を抱いたことは想像に難くない。この世に決して存在しない架空の生物を描く怪獣映画でありながら、同時にあまりにもリアルな戦争映画としても機能しているといえるだろう。
そういった点は、劇中の描写にも表れており、ゴジラを倒すために人間が「オキシジェン・デストロイヤー」と呼ばれる兵器を用いることにも懐疑的な意見が飛び出す。あくまでもゴジラは、人間が水爆実験で生み出してしまった怪物であり、人間の愚行へのアンチテーゼとして存在している。
すなわち本作には、本当に恐怖すべきはゴジラではなく、人間であるというメッセージが込められているのだ。“色”のないモノクロの世界で鋭く光るゴジラの眼光が、我々にそんな教訓を授けているようにさえ感じてしまう。
『ゴジラ』シリーズは後年、他の怪獣との対決をメインに展開されていき、一作目のような恐怖を前面に描くものではなくなっていった。その始まりとなったのが1955年の『ゴジラの逆襲』 なのだが、モノクロ版ならではの恐ろしさはいまだ健在の作品である。
とりわけ、大阪の街を舞台に繰り広げられるゴジラとアンギラスによる壮絶な死闘は圧巻で、周囲の火の海が白く映る中に真っ黒のゴジラがたたずむ姿は、まさにこの世の終わりを表しているかのようである。
人類が「オキシジェン・デストロイヤー」を用いず、いかにしてゴジラを葬ろうとするのかにも注目だ。