パリ五輪では、金メダル3、銀メダル2、銅メダル3とメダルラッシュとなった日本柔道。なかでも、角田夏実選手はアテネオリンピックの谷亮子選手以来20年ぶりとなる女子最軽量48kg級での金メダルとなった。小さな体で躍動するその姿は、浦沢直樹さんの漫画『YAWARA!』の主人公・猪熊柔を見ているようだった。
1986年から『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で連載された本作は、「柔道」をテーマにした言わずと知れた名作だ。オリンピックで柔道が盛り上がりを見せている今、あらためて柔道家としての活躍を中心に、柔の凄さを振り返ってみたい。
■鮮烈なデビューを果たした武蔵山高校時代
全日本柔道選手権大会5連覇(自称6〜8連覇)、段位七段(自称八~十段)の祖父・猪熊滋悟郎によって、幼いころから柔道の英才教育を受けてきた猪熊柔。
すでにこの時点でひったくり犯を投げ飛ばしたり、高校柔道部の男子など相手にならないほどの実力を持っていたが、これまで大会などには参加していなかったようで、意外なことに3巻で昇段試験を受けるまでは帯も白帯だった。
そんな柔の初の公式戦となったのが、武道館でおこなわれた「第1回クジテレビ杯柔道選手権大会」だ。孫娘に五輪で金メダルを取らせ、国民栄誉賞を授与させたいという野望を持つ滋悟郎が、柔のお披露目のために用意したような大会で、全国放送もされる盛大なものであった。そして本大会で柔は決勝で対戦した本阿弥さやかを含めオール一本背負いで優勝し、滋悟郎の思惑通り鮮烈なデビューを果たしている。
そしてその後も「紅玉杯争奪女子柔道大会」「勾玉杯争奪女子柔道選手権大会」など出場したすべての大会で優勝。天才柔道少女“猪熊柔”の名は、瞬く間に日本中に知れ渡っていくこととなった。
■いよいよ舞台は世界へ! 三葉女子短大時代
「普通の女の子になりたい」と願っていた柔は、柔道部がない三葉女子短大に入学する。そこではのちに大親友となる元バレリーナの伊東富士子と出会い、彼女の後押しもあって「全日本女子柔道選手権大会」の無差別級に出場することに。
ライバルのさやかが準決勝で足を骨折したため決勝は不戦勝だったものの、柔はこの大会で優勝。ソウル五輪代表として選出されることとなった。
公開競技となった「ソウル五輪」の柔道(アニメでは「柔道ワールドカップ」)で柔は48kg以下でありながら無差別級に参加し、そのとき絶好調だったベルギーの女王・ベルッケンス、さらに柔を研究し対策万全だった世界選手権無差別級の覇者・テレシコワも破り、オール一本勝ちで金メダルを獲得している。
「柔よく剛を制す」と言えども、世界の強敵相手にやってのけてしまう柔の強さは、やはり尋常ではない。
そして大会後は、富士子が密かに設立した柔道部に半ば強引に入部させられ、三葉女子でも柔道をすることとなる柔。ここでは女子学生団体戦「紫陽花杯」をはじめ、ユーゴスラビアで行われた「柔道世界選手権大会」、さらに卒業後の進路を賭けた「卒業記念試合」でも勝利。無敗のまま、三葉女子を卒業した。