藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎※、赤塚不二夫という日本を代表する漫画家たちが若き日に住み、切磋琢磨したアパート「トキワ荘」。日本漫画の巨匠たちのルーツとして、漫画ファンには伝説となった場所だ。(※「A」は丸囲み、「ノ」は小さい半角カタカナ)
日本アニメの黎明期から第一線で活躍してきたアニメ作家・鈴木伸一さん(90)は、そんなトキワ荘の住人の一人。藤子両先生とトキワ荘時代から仲が良かったことでも知られ、藤子作品でおなじみ「ラーメン大好き小池さん」のモデルともなった。そんな鈴木さんだけが知る「藤子不二雄先生の素顔」を聞いた。【第3回/全3回】
──鈴木伸一さんは、特に藤子不二雄先生との交流が深かったとのことですが、「藤子・F・不二雄」こと藤本弘先生、「藤子不二雄A」こと安孫子素雄先生、それぞれどのような方だったのでしょうか?
鈴木伸一さん(以下、鈴木):藤本氏は本当に嫌味のない人でしたね。藤子スタジオ(※藤子先生の制作会社、二人の独立後はA先生が引き継いだ)の人たちと一緒に長崎旅行した時、僕は生まれが長崎なので、親戚にあいさつするため別行動することにしたんです。そうしたら藤本氏が「じゃあ俺も行くよ」って、ついてきちゃったの。
──物怖じされないんですね。
鈴木:僕としては嬉しいわけですよ。親戚もすごく喜んでね、僕は放ったらかしで、藤本氏を車に乗っけて、あちこち案内するんです(笑)。普通だと、他人の親戚の集まりなんて、ちょっと行きにくいじゃないですか。藤本氏は物静かだけど人見知りじゃないし、そういう気さくなところがあったよね。
──そうした一方で、とてもいたずら好きな面もあったようですね。
鈴木:藤子不二雄は二人そろっていたずら好きでしたよ。でもいたずらを思いつくのは、おそらく藤本氏だったんじゃないかな。本当にいろいろ騙されましたね(笑)。
よく覚えているのは、スタジオ・ゼロ(※トキワ荘メンバーが設立したアニメ制作会社、第2回参照)があったビルは、トイレが男女兼用だったんです。その個室の下の隙間から、女性の足が見える。「これは行っちゃまずいな」と思って、長い間誰も近づけないでいたら、これが藤本氏のしわざでした。足に見える風船を置いていたんですね。人を騙してやろうと思ってあれこれ考えて、一生懸命準備しているんだと思ったら面白かったですね(笑)。
──藤子先生のいたずらといえば、『トキワ荘青春物語』(1981年・光文社)に鈴木さんが寄稿されたエッセイ漫画にあった、ロウ細工のピーナッツをトキワ荘のメンバーに振る舞うエピソードも印象的でした。
鈴木:あれもおそらく藤本氏がどこかでそういうおもちゃを見つけて、「よし、やろう」ってなったんじゃないかな。藤本氏は、他の人よりもう一段階上の視点で面白がるところがあった気がします。
──そういう時にA先生は止めずに乗っかっちゃうんですね(笑)。
鈴木:そう、「一緒にやろう!」って。僕から見ると安孫子氏は、藤本氏のことを兄貴分のように思っていたんじゃないかな。いいコンビでしたよ。