■井上陽水もマージャン仲間…社交的だったA先生
──A先生も気さくな方のようですが、さまざまな手記・文献を読む限り、F先生とは性格もタイプも違いますよね。
鈴木:片や『笑ゥせぇるすまん』、片や『ドラえもん』ですから、漫画の題材の選び方も全然違うでしょ? 安孫子氏はどちらかというと人間の裏側の部分に注目していましたよね。人によって好き嫌いがわかれる作風ですが、それがとても面白いんです。
──社交的な性格だからこそ見えてくる面に、惹かれるものがあったのでしょうね。
鈴木:あの人は交友関係の幅が広かったね。安孫子氏が原作漫画と製作を手がけた『少年時代』(1990年)という映画があるんですけど、主題歌を歌った井上陽水は、もともとは彼のマージャン仲間だったとか。
──麻雀しながら「ちょっとやってくれないか」みたいなやりとりがあったことが想像できます(笑)。
鈴木:主題歌ができた時に、安孫子氏のところに行って聴かせてもらったんです。びっくりするほど良くて、「これすごいよ!」って言ったんだけど、安孫子氏は不満そうな顔で「そうかなぁ」なんて言うんです。
──『少年時代』といえば井上陽水さんの代表曲のひとつとも言える名曲なのに、随分と手厳しいですね。
鈴木:最初は「詞を書いてくれたら作曲する」という話だったので、安孫子氏が書いて送ったのに、完成した曲には1フレーズも使われていなかったらしいんですよ(笑)。
──不満の原因は、間違いなくそこですね(笑)。藤子先生お二人とは、トキワ荘を出られた後も交流は続いていたそうですね。
鈴木:後にコンビは解消しましたが、二人は同じ敷地内にそれぞれ家を建てていて、僕もたまたま近くに住んでいた。近いから子どもたちを連れて遊んだりご飯を食べたりしていましたね。
藤本氏が亡くなってからも(※1996年)、安孫子氏とはちょくちょく会っていました。安孫子氏が亡くなった時(※2022年)は、新聞に頼まれて追悼エッセイを書きました。僕は文章は下手なんですけど、その年のベストエッセイのひとつに選ばれましたね。
──文章にはトキワ荘時代からの親友への素直な想いが乗っていました。
鈴木:二人は本当にいい友達でした。大好きでしたね。
【鈴木伸一プロフィール】
1933年長崎県生まれ。中学時代からマンガの投稿を行い、1955年にトキワ荘に入居。1956年、漫画家・横山隆一の主宰するおとぎプロに入社し、以降、現在までアニメーション制作に携わる。2004年、アニメの自主制作集団「G9+1」を結成。2005年には、杉並アニメーションミュージアム館長に就任した(現在は名誉館長)。
現在「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」にて、特別企画展「鈴木伸一のアニメーションづくりは楽しい!!~トキワ荘からアニメの世界へ~」が開催中(7月15日まで)。
詳しくは、「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」ホームページまで。
https://tokiwasomm.jp/