2023年11月3日、『ゴジラ』シリーズ最新作となる『ゴジラー1.0』が公開された。記念すべき30作目となる本作は、12月にはアメリカで公開された邦画実写作品のなかで歴代1位の興行収入を獲得し、アカデミー賞のショートリストにも選出されるなど、異例の大ヒットとなっている。
1954年に第1作目が公開されてから、70年もの長きにわたって愛され続けてきた『ゴジラ』。人々にとって、こと日本人にとって、ゴジラとはいったいどんな存在なのだろうか。
■そもそもゴジラは“祟り神”?
『ゴジラー1.0』の脚本・VFX・監督を務めた山崎貴さんは、解剖学者・養老孟司さんとの対談のなかで、『ゴジラ』について「みんなで祟り神を鎮める話」だと語った。
そもそもゴジラとは、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の産物であった。本作でもその設定は受け継がれており、小笠原諸島・大戸島に伝わる伝説の生物が被爆して巨大化したとされている。そうして生まれた怪獣が、縄張りを広げるべく敗戦直後の日本に上陸。復興を遂げつつあった街は再び瓦礫と化し、戦争を生き延びた大勢の人々が命を落とした。こんな理不尽な話があるか……。
しかし、この“理不尽”こそが、まさに祟り神の本質と言えるだろう。災害や疫病……理不尽に襲ってくる人智を超えた力を、古来の日本人は擬人化して“神”と畏れ、それが祟らぬようにと崇め奉った。
水爆実験によって生まれたゴジラは天災というより人災の色が濃いものの、巻き込まれたほうからすれば理不尽な厄災であることに変わりはない。そう考えると、ゴジラを一種の祟り神だとする見方にも合点がいく。
■祟っても神は神…日本人にとってのゴジラとは?
どんなに祟っても、日本人にとって祟り神はあくまで“神”だ。しかし『もののけ姫』の海外版を見てみると、“タタリ神”の英訳は“some kind of demon”、つまり“悪魔”として描かれている。
キリスト教などの一神教の影響が大きい文化圏では、神(=the god)といえばたった一人の全知全能の存在を指すことが多い。人を憎み祟るものは悪魔や悪霊の類でしかないし、ましてや歳をとっただけの古猪を“神”と呼ぶのもピンと来ないだろう。
このあたりの宗教観の違いは、日米の『ゴジラ』作品に如実に現れている。日本のゴジラは、恐怖や脅威、憎しみの対象になることはなっても、決して悪そのものではない。
一方で1998年にハリウッドで製作された『GODZILLA』では、ゴジラは凶悪なモンスターであり、人類が倒すべき敵として描かれた。これを観て“こんなのゴジラじゃない!”と思ったのは、日本人だけでなく海外のゴジラファンも同様のようだ。しかし世界的に見れば、こちらのゴジラのほうがストーリーとしてしっくり来るという人が多いのではないかと思う。
おそらく日本人にとってゴジラとは、怪獣であると同時に神のような存在でもあり、善とも悪ともつかない超自然的なものなのかもしれない。荒ぶる神・ゴジラをどう鎮めるのか。そこが『ゴジラ』シリーズの見どころの一つでもある。