1983年に連載が始まり、今なお愛され続ける漫画『北斗の拳』。2023年は連載開始40周年を迎えたこともあって、原画展の開催やオリジナルグッズの発売、アニメ制作決定の発表など、大いに盛り上がりを見せた。新作アニメの情報はまだ詳細が明らかとなっておらず、原画展の開催も2025年まで続くため、この熱気はまだまだ続きそうだ。
そこで今回は当サイトに掲載された『北斗の拳』関連の記事から、特に人気だったものを2本振り返っていこう。ぜひ新作アニメの続報に思いを馳せつつ、楽しんでいただきたい。
■なぜ変えた…? 『北斗の拳』原作どおりにしてほしかったアニメのオリジナルシーン4選(2023年7月2日公開記事)
1984年にテレビアニメ放送を開始した『北斗の拳』(原作・武論尊氏、作画・原哲夫氏)。本作では、第19話で登場した“南斗人間砲弾”をはじめ、原作の世界観とは明らかに異なるアニメのオリジナルシーンが話題となった。
いわゆる“アニオリ”に関しては賛否両論あるものの、原作ファンからすれば「なぜ変えた……?」と首を傾げたくなるシーンも多い。そこで今回は、できれば原作どおりにしてもらいたかった部分を紹介する。
■バットとトヨ…最期には「おかあさん」と呼んでほしかった
まずは、アニメ第11話で放送されたバットのエピソード。
バットはケンシロウたちとともに昔住んでいた村に行き、育ての親であるトヨと再会する。トヨに対してなかなか素直になれないバットは、彼女を「ババァ」と呼んだり、「おれは あんたの子どもだなんて思っとりゃせんからな」とへらず口を叩いたり。しかし村が暴徒に襲われ、子どもをかばったトヨは重傷を負う。倒れた彼女を泣きながら抱きかかえるバット。
原作では、ここでケンシロウが「バット…最後だ かあさんと いってやれ」と声をかけ、バットは最後の最後で素直に「おかあさ~~ん‼」と呼ぶことができた。それを聞いたトヨも、ニコッと笑ってから逝く。
しかしアニメではケンシロウのアシストはなく、息絶えたトヨにバットが「おばさ~~ん‼」と叫ぶのだ。なんなら「ババァ」より他人行儀な印象ではないか……。
どんな呼び方であってもトヨはバットの気持ちを汲み取っていたとは思うが、それでも最期くらい“母”と呼んであげたいと思うのが人情だろう。もっとも、素直に母と呼ぶことすらできなかったという点で、より悲劇的な場面として印象づけるための演出なのかもしれないが。
■十分に悼まれなかったライガとフウガの死
続いて、第39~43話に登場した双子の衛士・ライガとフウガについて。二人は末弟のミツを人質にとられ、仕方なく監獄・カサンドラの門番を務めていた。そしてトキを助けに来たケンシロウに敗れ、彼が救世主であると確信すると、自ら門を開け放つ。
原作では、ライガとフウガの裏切りを知ったカサンドラの獄長・ウイグルがミツを処刑しようとするが、“死の覚悟が決まった男を殺してもおもしろくない”という理由から処刑は中止に。ウイグル獄長はケンシロウに倒され、三兄弟は無事に再会と解放を果たす。
しかし喜びも束の間、ライガとフウガはトキの牢獄へと続く通路を守るために戦い、命を落としてしまう。通路を塞がんと落とされた巨大な岩を支え、立ったまま絶命した二人。それを見たミツは二人にすがって号泣し、ケンシロウもまた、目をカッと見開いたまま死んだ二人の瞼を閉じて“安心して眠れ”と涙を流すのだった。
対するアニメでは、ミツは割とあっさり殺されてしまう。そしてケンシロウたちがトキを助け出したあとで、ライガとフウガは崩れ落ちた塔を支えて彼らの退路を守り、やはり立ったまま絶命した。その死を弟に悼まれることはなく、ケンシロウは原作同様に瞼を閉じて声をかけはしたものの泣いてはいなかった。
ケンシロウに「明日への希望」を託し、凄絶な死を遂げたライガとフウガ。アニメでは、弟を失う絶望のなかで尚そこに賭ける思いの強さを強調したのかもしれないが、あまりに報われない最期ではないだろうか。