コロナ禍が終わり、日本各地には連日海外からの観光客が大量に押し寄せている。インバウンド消費に期待が膨らむ一方で、オーバーツーリズムに悩む都市も少なくない。京都もその一つだ。
しかし1993年、ある超大物の来訪により、京都の街はオーバーツーリズムどころではない大惨事に見舞われたことがあった。『ゴジラVSメカゴジラ』時の、ゴジラである。このときのゴジラの足取りをたどってみると、やや不自然な進み方をしていることが分かる。ゴジラはなぜこのようなルートをとったのか。その謎について考察してみたい。
■東寺から京都入りの謎
四日市から上陸したゴジラは、鈴鹿の山中でメカゴジラと交戦したあと、真っすぐ西に向かう。目指すは「国立生命科学研究所」にいるベビーゴジラだ。
この研究所は実在しないが、場所の設定は国立京都国際会館あたりだということが『東宝SF特撮映画シリーズVOL.8 ゴジラVSメカゴジラ』の川北紘一特技監督インタビューで明かされている。京都市中心地から見て、北東の郊外にあたる場所だ。
鈴鹿から真っすぐ西に向かって国際会館を目指すなら、間に連なる山々をひたすら突っ切り、宇治あたりで街に出て、南東から京都市街地に入ってくることになる。しかし実際にゴジラが来たのは、京都駅の南西に位置する東寺付近から。一刻も早くベビーゴジラに会いたいだろうに、なぜ一直線に向かわなかったのか……というのが第一の謎だ。
■清水寺に寄り道の謎
東寺五重塔の横を通り過ぎたゴジラは、まっすぐ京都タワーに向かう。そして五重塔には見向きもしなかったくせに京都タワーは破壊して、そのまま東寄りに北上、鴨川にかかる三条大橋付近へ(夏になると、よく鴨川沿いに川床が並ぶ様子が映し出されるあたり)。このまま北北東に進路をとれば、京都入りしてから国際会館まで残り3分の2程度の道のりといったところか。
しかし、その次に向かったのは意外にも清水寺であった。清水寺は三条大橋から見て南東方面。なぜわざわざ踵を返して南に向かったのか……というのが第二の謎。ちなみに関係ないかもしれないが、ベビーゴジラが母親代わりに慕っていた女性研究員の名前は“五条”、清水寺に向かう道は五条坂(五条通)という。
清水寺と二年坂(二寧坂)で観光客を蹴散らしたゴジラは、再び北に進路を戻し、鴨川の上流へ向かう。その後は大きな寄り道もなく、無事にゴールの国際会館付近までたどり着いた。