■悪鬼と呼ばれた人間を剣士に変えた『バガボンド』沢庵宗彭

 師匠キャラといえば、井上雄彦氏による『バガボンド』の沢庵宗彭について語らずにはいられない。殺し合いの果てに死を望む修羅だった“たけぞう”に道を説き、剣の道を生きる剣士“宮本武蔵”へと変えた人間である。

 かつて悪鬼として村中から恐れられ、家族からも愛されず、認められない少年時代を過ごした武蔵(たけぞう)。彼はいつしか他人を憎み、蔑み、遠ざけるようになっていった。やがて斬り合いの果てに死ぬのが自分の人生だと決めつけるに至るが、そんな彼に新たな道を与えたのが沢庵だった。

 沢庵は多くの人間を殺した武蔵を縛り上げ、暴れようが喚こうが、糞尿を垂れ流そうが徹底的に放置した。殺せと叫ばれても当然聞き入れはしない。続けて武蔵が殺してきた人間について触れ、自分だけカッコよく死のうとするのは自分勝手だと諭す。

 心身ともに追い詰められるなか、武蔵は“修羅の道を行くしかない自分”が生まれた意味について考えさせられる。しかし修羅としての生き方に縛られる彼に対し、沢庵はこう言った。「お前はそんなふうにはできていない」と。続けて彼がいつか光を見つけられるようにと、「闇を知らぬ者に 光もまた無い」「闇を抱えて生きろ!!」と言葉を贈る。

 沢庵の言葉は、武蔵を悪鬼ではなく一人の人間として認めるものだった。こうして武蔵は生き方をあらため、剣士・宮本武蔵(むさし)としての人生を歩み始める。

 “認める”という行為は、簡単なようでなかなかに難しい。しかし沢庵は“たけぞう”から殺意、憎悪、孤独、切望といったさまざまな感情を向けられても、それらに囚われず、彼を人間として認めて包み込んだ。近くにそんな人間が一人でもいると、人は救われるものだろう。

 作中には武蔵が沢庵を師と仰ぐシーンはない。それでも宮本武蔵にとって、沢庵は“生きる力”そのものを与えてくれた師匠のような存在なのではないだろうか。

 

 漫画やアニメにしばしば登場する“師匠キャラ”。作中では主人公の成長に欠かせない重要なキャラであり、その主人公に共感する読者にとっても師のような存在になり得ると思う。

 我々はさまざまな作品から人生の教訓を学ぶが、主人公の努力や成長はもちろん、師匠キャラの言葉や振る舞いから得るものも少なくない。いつか、彼らのように人を導ける存在になりたいものだ。

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