『銀河鉄道999』松本零士と『サイボーグ009』石ノ森章太郎…実は誕生日もまったく同じ! 昭和を代表するSF漫画家の意外な共通点の画像
松本零士著『君たちは夢をどうかなえるか』(PHP研究所)

 2023年2月13日に亡くなった、漫画家の松本零士さん。松本零士さんと言えば『銀河鉄道999』をはじめ、『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙海賊キャプテンハーロック』など「宇宙」を題材に多くのSF作品を生み出し、1970〜80年代のアニメブームのけん引に一役買った作家だが、そんな松本さんと奇妙な縁を持つのが、1998年に60歳の若さで亡くなった石ノ森章太郎(石森章太郎)さんである。

 両者は互いに国民的人気を誇る漫画家というだけではなく、実は誕生日がまったく同じだったり、『999』と『009』のタイトルのように不思議な共通点が多いのだ。

■漫画家を目指すきっかけとなった「名作」との出会い

 前書きでも触れたが、松本零士さんと石ノ森章太郎さんの誕生日は奇しくも同じ1938年1月25日だ。

 松本零士さん、本名・松本晟(あきら)さんの出身は福岡県久留米市、一方の石ノ森章太郎(本名・小野寺章太郎)さんは宮城県登米郡石森町(現・登米市)。直線距離にして1000キロメートル以上も離れた二人が、小学生時代に「同じ漫画」の影響で漫画家を目指すようになる。それが、後の「マンガの神さま」こと手塚治虫さんが18歳の若さで描いた『新宝島(新寶島)』だ。本作は他にも、藤子不二雄や赤塚不二夫さんなど、多くの少年たちが漫画家を目指すきっかけとなったエポックメイキングな作品でもあった。

 こうして、地元の高校在学中に松本さんは『蜜蜂の冒険』で、石ノ森さんは『二級天使』の連載でデビューを果たすが、掲載誌も同じ月刊誌『漫画少年』だった。

 同じ日に生まれ、同じ漫画を読んで漫画家を志し、同じ雑誌でデビュー。改めて振り返るとあまりにも多い共通点と言えるだろう。

■遠く離れた場所で同じ原稿に関わった二人

 高校卒業を機に上京する二人だが、石ノ森章太郎さんは漫画家が集うアパート「トキワ荘(豊島区)」で、少し遅れて松本零士さんは『元祖大四畳半大物語』などのモデルとなった「山越館(文京区)」での下宿となる。活動場所や上京時期こそ違うものの、実はその少し前に二人には不思議な接点があったのだ。

 福岡の旅館で締め切りに追われていた手塚治虫さんは、アシスタントとして上京直前の松本さんをはじめとした漫画研究会を呼んでいる。一方、東京のトキワ荘では石ノ森さんたち若手が手塚さんの代筆を任されていたのだが、二人が携わっていた原稿こそが『ぼくのそんごくう』だった。手塚さんが福岡から送った原稿がギリギリ間に合ったため代筆原稿は没となるが、奇しくも遠く離れた場所で、松本さんと石ノ森さんは同じ原稿を手伝っていたというのだ。

 またその後に、手塚さんたち3人はちょっとした騒動を起こしており、松本さんがテレビ番組や自著などで「自称日本三大アニメマニア芋づる事件」としてその全容を明かしている。

 松本さんが20代前半のころ、アニメ研究のため映写機やフィルムを買っていたのだが、その行為が「映画の無断上映を行っている一味」と疑われてしまい、警察から家宅捜査を受けてしまったそう。芋づる式に手塚さん、石ノ森さんも家宅捜査を受けるも誤解が解け、最後には警察からアニメ制作を励まされたという顛末だった。

 手塚さんを介していくつもの共通点が生まれたのは、まさに“マンガの神さまのお導き”かもしれない。

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