一昨年から昨年にかけて、芥見下々氏の『呪術廻戦』が一大ブームとなった。本作は、“呪いの王”と呼ばれる「両面宿儺」が主人公・虎杖悠仁の体を器として顕現するところから始まる。以降は作中もっとも強大な敵として登場するこの両面宿儺だが、実は単なるフィクションではなく、歴史書や民間伝承などさまざまな場面で語り継がれているという……。
いったい両面宿儺とは何者なのか。その正体や、ほかの作品での扱われ方について調べてみた。
■二重の意味で“二つの顔”を持つ人物
日本最古の歴史書の一つ『日本書紀』には、短いが両面宿儺の記録が記されている。それによると、仁徳天皇の治世(今から約1600年前の古墳時代)に、飛騨の国(現在の岐阜県)に「宿儺」という“人”がいたという。
宿儺は、胴体は一つだが頭部の前後両面に顔があり、それぞれの顔に手足が一対ずつ、つまり合計八本の手足を持っていた。力が強く身軽で、左右に剣を帯び、四本の手で二張の弓を操った。しかし、天皇に従わず略奪を好んで人民を苦しめたため、天皇が差し向けた武人によって討伐されたという。
一方で宿儺がいた岐阜県では、宿儺が鬼退治や毒龍退治をしたという英雄的な伝承が残っている。また高山市にある千光寺では宿儺を“開山の祖”として祀っており、同市の善久寺でも“十一面観音の化身”として木像を安置するなど、信仰の対象にもなっているようだ。
文字通り二つの顔を持っていたとされる宿儺だが、かたや略奪を好む逆賊、かたや地域を守る英雄と、その評価もまた二面的である。
■結局のところ「宿儺」ってどんな人?
『日本書紀』の記述から分かるとおり、「両面宿儺」というのはあだ名のようなもので、名前は単に「宿儺」であったらしい。“顔が二つある宿儺さん”といったところか。
そして史書と伝承の両方から考えられるのは、おそらく宿儺は古墳時代に飛騨で力を持った豪族であり、ヤマト王権(大和朝廷)にとっての脅威だったということだろう。中央政権に抗う強大な勢力を「鬼」や「異形」として討伐の正当化を図るのは、歴史上よく聞く出来事である。
実際に古代から中世にかけての日本では、王権に従わない豪族は「土蜘蛛」という蔑称で呼ばれていたそうだが、その点、宿儺の手足が蜘蛛と同じ八本とされているのも頷ける。
飛騨では地元の豪族を英雄として崇め、それが信仰に結びついたというのが自然な考え方かと思われるが、この点については正史との矛盾も多く、いまだ定説はないようだ。