『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』など漫画家・手塚治虫氏が生み出した作品は、没後30年以上が経った現在もなお多くの人々を魅了し続けている。そんな手塚氏のライフワークとされていたのが、「生命」の在り方について描かれた大作『火の鳥』。その血を飲めば不老不死となる火の鳥を中心に、さまざまな生物の願いや苦悩の物語だ。
火の鳥は全知全能の「神」に近い存在であり、物語の中でもたびたびその能力を用いて登場人物たちの運命に介入していく。「救い」や「幸福」が与えられるキャラクターがいる一方で、与えられた「罰」が異常に重すぎて「そこまで酷い目に遭わせれるのか……」と読んでいて気の毒になってしまうキャラもいた。
読むたびに新たな発見を与えてくれる『火の鳥』。今回は、火の鳥が与えた罰によってあまりに酷い目にあったキャラを何人か振り返りたいと思う。
■大きく醜い鼻は許されることのない罪の証
『鉄腕アトム』の「お茶の水博士」のように手塚作品では「大きな鼻」を持つキャラクターが登場する。そして、同じように大きな鼻の持ち主ながら、鋭い目つきでどこか険しい印象を与える「猿田」の名を冠する人物たちがさまざまな場所や時代で登場しており、「鳳凰編」では「我王」の人生が描かれる。
舞台は奈良時代の日本。我王は生まれてすぐに右目と左腕を失ったことで迫害を受け、ついには悪辣非道な盗賊となる。実はこのときまで彼の鼻はふつうであったが、原因不明の病を患い鼻が大きく腫れ上がってしまい、妻・速魚が毒を盛ったと疑い殺してしまう。
だが実は速魚は我王がかつて助けたテントウムシ。そのことを知った我王は自責の人生を送っていたが、良弁僧正との出会いにより仏僧の修行を積むことになる。諸国を巡るなかで人々の苦しみや自身の怒りにつき動かされた我王は、何時しか仏師としての才能を開花させるようになった。
そんな我王の前に火の鳥があらわれ、彼に子孫たちの苦しむ姿を見せる。ある者は一千年後の世界で銃殺され、ある者は遥かな宇宙をさまよい、またある者は世界の終わりに生命の研究に一生を捧げて命を終える。みんなそれぞれが悲惨な目にあっており、次の項目で触れるが、我王は「猿田」が犯した「罪」により未来永劫呪われ続ける運命にあったのだ。
「鳳凰編」では、都を追われた我王が世界の美しさに気づいて涙を流すシーンがあるが、過酷な運命と醜い人の世ばかりを見ていた彼が「生きる」意味を見出せた瞬間かもしれない。
■宇宙の果ての流刑星で永遠の生と死をくりかえす罰
西暦2577年、地球に向かう宇宙船が事故を起こしたところからはじまる「宇宙編」でもなかなかに酷い罰を与えられる。人工冬眠から目覚めた4人の隊員は、見張り役として起きていた牧村がミイラとなっていたことに驚く。隊員たちは個々の救命ボートに乗り込み脱出するも、彼らの後を死んだはずの牧村のカプセルが付いてくるのだ。
犯人探しや記憶のすり合わせなど、前半は閉鎖空間で起きるサスペンス的要素に満ちているが、後半には牧村が隠していた秘密の解明と重すぎる断罪が描かれている。
生き残った「猿田」と「ナナ」、そして牧村が乗ったボートは謎の惑星へと辿り着く。そこで猿田は火の鳥と出会い、牧村がとある惑星で残虐非道な「罪」を犯したことで「罰」を受け、自分たちはそれに巻き込まれこの「流刑星」に来たことを知る。
火の鳥により牧村が受けた罰とは、死ねない身体で永遠に若返りと老いを、つまりは「生」と「死」を繰り返すこと。ミイラの正体とは、若返り続ける牧村が入っていたケースの抜け殻だった。
猿田は火の鳥と地球に行ける約束をするのだが、ナナは赤ん坊となった牧村のため残る意思を固めていた。そんなナナの想いを断ち切るため猿田は罪を犯したことで、火の鳥によって子々孫々まで醜い顔を「罪の刻印」として刻まれるなどしてしまうのだ。
酷いとばっちりで重い「罰」を受けた猿田だが、発端となった牧田にも情状酌量の余地は十分あったと筆者は思う。本シリーズは1987年にアニメ化されているが、個人的にラストの演出は原作とは一味違った絶望感を覚えた。