■教科書よりも役に立った「横山三国志」

 さて「三国志」について語りたいことが山ほどあるのですが、今回は、私が横山光輝三国志を読んで知った、「三国志発祥のことわざ」をいくつかご紹介させていただきたいと思います。いずれも横山先生によって分かりやすく、かつドラマチックに描かれたことわざたち。漫画から知識を得ることがほとんどだった子ども時代のムーディにとって、横山三国志はどんな教科書よりも実用的なものでした。

 まずはコミックス13巻に描かれた「梅を望んで渇きを止む」です。

 子どもの頃に読んだ横山光輝三国志の中でも、よく覚えているエピソードの一つです。曹操が行軍中、雨が降らず兵の喉が極限に渇いていました。そんなときに曹操が「この先には梅林があるぞ」と、酸っぱい梅を想像して唾液が出て喉の乾きを我慢出来た、というエピソードです。このエピソードが実際あったかどうかは分かりませんが、子ども向けに描いていた初期の横山光輝三国志っぽい話で、追い込まれた状況でも知恵で軍を導く、曹操の頭の良さが出たエピソードです。

 お次は「三顧の礼」と「水魚の交わり」。

 横山光輝三国志の後半の主役である、諸葛亮孔明に関するエピソードです。君主自ら諸葛亮孔明の元に3度も出向き、説得に成功したのが「三顧の礼」。

 孔明を得た玄徳は、一日中孔明と話し込むようになった。義兄弟である関羽と張飛がたまりかね「孔明ばかり持ち上げすぎではないか」と諌めますが、玄徳は「わしが孔明を得たのは、魚が水を得たようなものだ」と相手にしなかった。それが「水魚の交わり」。

 諸葛亮が物語に出てきたときの、私の気持ちはこうでした。

「なんだこの諸葛亮という奴は!態度が気に食わん!」と、まるで関羽と張飛のような気持ちで漫画を読んでいました。僕が呉推しだったというのもあるんですが、好きなキャラである周瑜が敵わなかったり、呉が手玉に取られる感じが、なんか嫌だったのです(笑)

 長いのと金銭的な問題で、赤壁の戦いあたりで横山光輝三国志を中断してしまったせいで、僕の諸葛亮孔明に対するイメージは良く無いままでした。

 ですが大人になり横山光輝三国志を再開し、最後まで読んだとき……諸葛亮孔明に対するイメージが180度変わったのです。こんなに忠義に熱い男だったのかと!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 すいません。力が入ってエクスクラメーションマークを18個も使ってしまいました。劉備亡き後も、蜀を支え続ける姿は、涙無しでは読めません。そしてあのエンディングはもう……。横山光輝三国志を途中から読まなくなったという、そこのあなた! 絶対に最後まで読んだ方がいいですよ!

 というわけで、諸説はあるものの、私たちが普段使うようなことわざも三国志から生まれています。それがこちら。

「破竹の勢い」「登竜門」「白い目で見る」「十人十色」です。

 三国志を知らない人でも、この言葉は知っているんじゃないでしょうか。少しでも興味をもっていただけたなら『横山光輝三国志』でどのように描かれているか実際にご覧になってください。そしていつか「最高峰のバッドエンド横山光輝三国志」について語り合いましょう。

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