これまでさまざまな名作バトル漫画に登場してきた頭に牛の角を生やしたキャラクターたち。前回の記事では『キン肉マン』のバッファローマンと『聖闘士星矢』のアルデバランが持つ“意味”について語りましたが、「牛角」キャラの3人目として『北斗の拳』の「ラオウ」はどうでしょう。
……あるいは「ラオウ様が牛角キャラだと! 違うだろ! 許せん」というご意見がある方もいらっしゃるかもしれません。バッファローマンのように牛の角を頭に生やしているわけでもなく、アルデバランのように、自ら牛モチーフの聖衣を鎧い、神話的・寓話的な牛のイメージを背負っているわけでもないのです。
それにラオウというと「我が生涯に一片の悔い無し」というあのシーンがあまりにも有名で、その際の角刈りっぽい髪型のビジュアルイメージを抱く人が多いかもしれません。
ではラオウの異名である「拳王」ではどうでしょう。
「拳王は牛角キャラである」。こちらなら、なんとなくお分かりいただけるのではないでしょうか。
「世紀末覇者・拳王」といえば、巨大な黒い馬にまたがった偉丈夫。黒いマントを羽織り、頭には大きな水牛の角のような飾りがついた兜を目深にかぶっており、その顔よりも、衣装の方に強烈なインパクトを受けます。
多くの人が畏怖とともに仰ぎ見る「世紀末覇者・拳王」の名前には、この兜姿が、より強く紐づいているといえるでしょう。なおこの黒王号にまたがり、牛角の兜をかぶったビジュアルイメージは、アメリカのイラストレーター、フランク・フラゼッタのイラストを参考にされているそうです。
ラオウは、イメージ操作=「キャラ立て」においても、達人であったといえます。「世紀末覇者・拳王」としての恐怖と威圧感を演出するため、意図的にシンボリックなビジュアルイメージを強調しているのです。
そして、もう1つの名前「ラオウ」は、「北斗四兄弟の長兄」としての本名であり、拳法家としての名前と言えるでしょう。そのため、彼のことを「拳王」と呼ばずに本名の「ラオウ」と呼ぶのは、彼が「拳王」になる前から知っていた人々、主にケンシロウやトキのような北斗の兄弟や、南斗の拳法関係者になります。
「ラオウ」は拳でコミュニケーションを取ってしまう男ですから、そういった相手とどうしても闘うことになってしまいますが、立ちはだかる人たちは、ケンシロウとかトキとか、ジュウザとかフドウといった、とんでもないレベルの格闘家ばかりです。なので、勢い、彼は馬から降りて、兜を脱ぐことになるのです。
彼が「ラオウ」という名前で呼ばれる場面に「牛角の兜」のイメージが薄くなってしまうのは、そういう理由も大きいのではないかと思われます。