■相手の立場を考慮し、知性を感じる名ゼリフ

 セリジナ公国のアルマ王女と侍女のサリナが日本を訪問。リョウはそのボディーガードを依頼される。しかし、リョウの無類の女好きを危険視した侍女は、王女と入れ替わり、本物のアルマ王女が侍女として振る舞うことに。

 その後、王女を狙う大臣の手先から、彼女たちをしっかり守り抜いたリョウ。侍女としてそばにいるアルマ王女は、徐々にリョウに心をひかれていく。

 そしてセリジナ公国の一行が日本を去る直前、最後まで王女であることを打ち明けられなかったことが心残りのアルマ王女。そして王女は、リョウには通じないと分かりながら、母国語(セリジナ語)で語りかける。

 それはこれまで身分を偽ったことへの謝罪と、リョウの前では王女ではなく普通の女でいたかったという切実な想いだった。するとリョウは立ち去ろうとするアルマ王女に、“セリジナ語”で返事をする。

「たとえ君がだれであろうと、おれにとっては、君は侍女のサリナだよ。普通の女性の……」

 作中、王女を狙う敵対勢力がセリジナ語を用いて襲撃するシーンなどがあり、言葉が分かっていたならリョウは本物の王女が誰なのか気づいていたことになる。そのうえでリョウは、身分の差などは関係なく一人の女性としてアルマと接していたのだ。

 そのことをさり気なくアルマに告げたリョウのセリフに感動したのは、おそらく私だけではないだろう。

 それと冴羽リョウが多言語を扱えることはなんとなく分かっていたが、小国の言葉まで理解して話すことができる知的な面にも驚かされたエピソードだった。

■今だから理解できる新たな魅力も

『シティーハンター』が連載されていた当時、まだ子どもだった自分はリョウの圧倒的な強さやスタイリッシュなカッコよさ、そしてちょっぴりHで面白い部分が大好きだった。あの頃、リョウの持っていた銃に憧れ、同じモデルガンを購入した記憶もある。

 そして大人になった今、あらためて『シティーハンター』を読み返してみると、リョウの語ったセリフの端々から、子どもの頃は気づかなかった、もっと深い部分での魅力を再認識させられる。連載当時から30年以上たった現在も、多くの人から『シティーハンター』が愛されている理由の一端は、きっとそのあたりにもあるのだろう。

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