■アニメのキャストは劇団
福山 上江洲さんは脚本を書かれる際、芝居や絵をどこまでイメージされているんですか。
上江洲 芝居も絵もすべて織り込み済みで書いています。僕は予算が無限に扱えるようなビッグバジェットな仕事はあまりないので、そうなると限られた予算と工夫でどう仕上げるかを最初に考えないといけないんです。どうやって作って、お客さんにどう受け止められたら成功と呼べるのか、まずはそのビジョンを明確にすることから始まります。ブルーレイなどのソフトの売り上げ目標を定めてコアなファンに向けて作るのか、それとも売り上げは無視してでも幅広い層に向けて視聴率を上げるのか。それによって同じ原作でも料理の仕方はかなり違ってきますから。とにかく完成品のビジョンは明確に示さないとダメで、ぼんやりとしたことを言っている人間から先に死んでいく世界なんですよ。
福山 そのためにも脚本の段階で芝居や絵もできる限りイメージしておかないとダメということですね。
上江洲 その通りです。もちろん、それは監督やプロデューサーたちといっしょに決めていくんですけれど、脚本は最初の成果物なので、ここでこの作品がどこを目指しているのかをはっきりと示す必要があるんです。
福山 では、キャストについてはどこまで考えてますか。
上江洲 書いているときに何人かの声をイメージすることはありますけど、「この人しかいない!」みたいなことはあまりないですね。オリジナル作品でも基本的にあて書きはしません。ただ『LAIDBACKERS -レイドバッカーズ-』で福山さんに演じていただいたロンなどは、書きながら福山さんの声がちょっと頭をよぎっていたかもしれません。ギャグの呼吸が分かる人って、どうしても限られてきますから。
福山 たしかに。上江洲さんはキャスティング会議にも参加されますよね。
上江洲 もちろん。それぞれのキャラクターごとに何人か希望も出します。ただキャストの布陣というのは劇団と同じだと思っているので、仮に僕の第一希望が主役に決まったとしても、周りを固めるメンツによってはバランスが崩れてしまうこともあるんです。そこは本当に難しくて、毎回頭を悩ませるところですね。
福山 すごくよく分かります。僕は『乱歩奇譚 Game of Laplace』でナミコシというラスボスを演じさせていただきましたけど、実はもともとハシバ役でオーディションを受けていたんです。当時の僕は、まだまだ自分は少年役ができると思いつつも、もし自分がハシバをやることになったら、ほかのキャスティングは相当頭を悩ますだろうなとも感じていて。
上江洲 いやもう、その通りなんです。これは仮の話ですが、たとえば先に主人公のアケチに櫻井孝宏さんが決まっていたとして、そこに福山さんがハシバとして入ったとしたら、これは当時新人の高橋李依(コバヤシ役)がすごく困ることになるぞと。
福山 だからメインの座組みが発表されたときにすごく納得しました。正直オーディションではかなり手応えがあったんですけど、結果としてなるほど、と。
上江洲 賢いなあ。すべてお見通しですね。おっしゃるとおり、達者な人は達者な人なりに、デッキを組むのが難しいこともあるんです。
福山 僕もこれまでたくさんの作品を経験してきて思うんですけど、現場の全員が達者な売れっ子たちで固められたときって、逆にすごく難しいと感じることがあるんですよね。実力のある人はみなさん座組に対してのセンサーがすごい働くので、自分の能力が思う存分発揮できる作品だと感じると、当然みんな全力を尽くす。けれど、そうなってくるとそれらを繋げて束ねるコンダクター(指揮者)の役割が大切になってくるんですよね。それってその人に「コンダクターとしての役割に徹しろ」と言っているのと同義に感じるんですよね。
全員の能力が高くて思いきり力を発揮できる現場だけに、それを引き受けるのってなかなかつらくて。もしその中に未熟な新人がひとりでも入っていたら状況はまったく変わってきたりもしますし、別の在りようが生まれてくると思うんです。
上江洲 だからこそ、アニメのキャスト陣は劇団だなって思うんですよね。コロナ禍になる以前、アフレコ後に必ず飲み会を開いていたのは、僕らとしてはそういう関係性を見極めたり、あるいは弱点のケアをするためでもありましたから。
福山 なるほど、そんなところまで見ていたんですね。
上江洲 現場でのコンダクターは役者さんの中にいるべきだと思いますけど、現場の外であれば僕らもヘルプに回れますから。機嫌が悪そうな人がいたらなだめたり、落ち込んでいる人がいたら元気付けたりと、そこはスタッフの役割でもあると思っているんです。そもそも僕は役者さんが好きですし、なにより役者さんが楽しんでいない作品って必ず失敗すると思っています。