富野由悠季監督vs福山潤 名言連発の白熱対談!(3)富野監督「このセリフは成立するのだろうかと考える試みと直感そのものが、創作行為」の画像
人気声優・福山潤(左)と、富野由悠季監督(右)。

 声優・福山潤がこれまで出会ってきたプロと、熱きトークを交わす対談集『福山 潤 プロフェッショナルトーク』。本書に登場するのは、福山の声優としてのルーツ『∀ガンダム』の監督、名匠・富野由悠季。「黒歴史」など数々の言葉や名言を作中で生み出してきた富野監督の「言葉論」は、やがて「エンタメ論」に。後半のセッションをダイジェストで特別公開。

 

 ※  ※


「黒歴史」という言葉を生んだ男、富野由悠季

 

福山 監督は作品の中で、いろいろな言葉を生んでいますよね。『∀ガンダム』でいまや広辞苑にまで載っている「黒歴史」という言葉まで生んできた。そういう言葉を生み出すことができるのは、どうしてですか。
富野 他者がいるからです。セリフというものの性質として、他者がその言葉を発した瞬間に他者のものになる。そして他者という存在が、その言葉を成立させてくれるんです。
福山 とはいえ、監督の書かれるセリフは声優にとっても、かなりの力量が問われるものになっていると思います。たとえば、倒置法……いや、感情の吐露をして主語が最後に来るような監督のセリフは、僕らにとっては難しい言葉遣いになります。でも、監督は「わからないままやってくれ」と言いますよね。
富野 それは僕がセリフの芝居を決めつけていないからです。キャラクターという他者が発し、このセリフは成立するのだろうかと考える試みと直感そのものが創作行為です。事前に決め込んでしまうということは、主義主張や思想を持つことでもあり、大きな間違いにつながりやすいんです。
福山 そういうことだったんですね、納得しました。
富野 いまアニメでは目の大きなキャラクターが可愛いということで、幅を利かせていますが、20年後はどうなっているのかわからない。表面的な正しさに囚われず、こちらが自分の中に面白さを獲得して、小さなところから出発しなくてはいけないんです。

声優という肩書きにこだわる必要はない

福山 監督はずっとアニメーションの方法論の中から「新しいものを自分たちらしく作る」ことを目指していらっしゃるのかなと思っています。とくに『G-レコ』は僕は主人公のベルリ・ゼナムが戦うまでの時間にものすごく心が惹かれてしまったんです。というのも、最近の僕は、普通の人間が普通に話すことに興味が傾いています。
富野 そういうふうに感じてくれて嬉しいし、それでいいと思います。
福山 僕は以前、監督に「なぜ、監督は素人を作品に入れるんですか?」と失礼なもの言いをしたと思うんです。だけど、監督は「それは義務だよ」とおっしゃった。続けて「僕は現場に既存のものとは違う才能を投入する義務がある」と。
富野 エンターテインメントってそういうものですよ、というのがまず一つ。たとえばキャラクターがいて、セリフをマニュアルどおりに貼り付けていくというやり方が本当に面白いですかという話です。
福山 声優という仕事が専業として形をなしてきて約50年程になりますよね。僕は声優という肩書きにこだわる必要はもうないんじゃないかとも思っています。だからこそ、僕は逆に声優の存在意義を自らに問いながら声優をやっている。
富野 いま福山くんの話を聞いて、つくづく思ったことがある。それはあなたが考え過ぎだということ。そのものの見方を否定しません。けれど、声優業を20何年やってきて、やり方を確立し、視界が狭くなっている可能性がある。かつての僕も然りでした。
(続きは書籍で!)

 

富野監督がいま福山に対して伝えたいこととは…。そして、彼らの熱量はどうやって生まれているのか。互いの作り手としての「いま」と考え方の核に迫る、興奮のプロフェッショナルトークの結末は下記から! 乞うご期待。

 

「福山 潤 プロフェッショナルトーク」(双葉社)は10月22日発売

 

■PROFILE
●福山潤 ふくやまじゅん
11 月 26 日生まれ、大阪府出身。 2007 年、初代声優アワード主演男優賞受賞。『無敵王トライゼノン』で初主演。代表作に『コードギアス 反逆のルルーシュ』(ルルーシュ・ランペルージ)、『吸血鬼すぐ死ぬ』(ドラルク)、『新幹線変形ロボ シンカリオンZ』(スマット)、『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(マツモト)、『暗殺教室』(殺せんせー)、『七つの大罪』(キング)など。近年はアーティストとしても活躍。

●富野由悠季 とみのよしゆき
1941年生まれ、神奈川県小田原市出身。アニメーション映画監督、作家。斧谷稔、井荻麟、井草明夫などの名義も持つ。日本大学芸術学部を経て、64年に手塚治虫率いる虫プロダクションへ入社。日本初の本格TVアニメ『鉄腕アトム』(63年〜66年)の演出を手掛け、虫プロ退社後はフリーとして活躍。72年に『海のトリトン』で監督デビュー。79年に『機動戦士ガンダム』の監督を務め、アニメブームを起こす。以来、『伝説巨神イデオン』(80年〜81年)、『聖戦士ダンバイン』(83年〜84年)、『ブレンパワード』(98年)、『OVERMAN キングゲイナー』(02年〜03年)などのテレビシリーズを手掛ける。映画監督としての代表作に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)、『機動戦士Zガンダム』3部作(05年、06年)など。現在、劇場版『Gのレコンギスタ』(19年〜)全5部作の劇場版の総監督、脚本を務める。近年は日本各地の美術館で「富野由悠季の世界」展が開催されている。