1975年の『秘密戦隊ゴレンジャー』に始まり、子どもたちに夢と勇気を与え続けてきた「スーパー戦隊シリーズ」の終了が報じられ、大きな話題となっている。テレビ、玩具、漫画、映画といったメディアを横断しながら、50年近くにわたり毎年新作が制作され続けたその歩みは、まさに「日本のヒーロー文化の歴史」といっても過言ではない。
そしてその歴史を生み出したのが、原作者としてクレジットされる「八手三郎」である。ファンにはおなじみの名前だが、これが個人名ではないことを知らない人も意外と多いのではないだろうか。
今回は、そんな「八手三郎」の軌跡をあらためて振り返っていこう。
戦隊シリーズの原点は、1970年代前半に毎日放送が制作していた『仮面ライダー』にある。当時、石ノ森章太郎氏が生み出したこの作品は、社会現象的なヒットを記録していた。
しかし1975年、放送局のネットチェンジにより毎日放送がTBS系列となったことで、NET(現・テレビ朝日)は看板番組を失うことに。そこで急きょ企画されたのが、同じく石ノ森氏原作の『秘密戦隊ゴレンジャー』だった。
赤・青・黄・緑・桃の5色のヒーローがチームで戦うという発想は画期的で、子どもたちが色や性格でお気に入りのキャラを選べるよう設計されていた。しかも女性メンバーを含む構成は、男女問わず楽しめる要素として大ヒット。主題歌『進め!ゴレンジャー』は社会現象を巻き起こし、関連玩具の売り上げは年間数十億円を超えた。
だが、次作『ジャッカー電撃隊』は視聴率的に苦戦。シリーズの継続が危ぶまれるなか、東映は原作依存から脱却し、自社主導で再出発する方針をとった。こうして1979年の『バトルフィーバーJ』から登場したのが「原作・八手三郎」である。
この名義は特定の作家ではなく、東映プロデューサー陣の共同ペンネーム。もともとは当時の東映テレビ部プロデューサー・平山亨氏が、自身の名前を出せない状況で使い始めたと言われている。
名前の由来には諸説ある。平山氏が口にした「やって候(そうろう)」が変化したという説や、“なんでもやってみよう”という心意気が元ネタだとする説もある。いずれにせよ、前向きさや遊び心が感じられるネーミングだ。読み方は「やつでさぶろう」または「はってさぶろう」とされるが、どちらも正解であり、作品によって使い分けられてきた。
『バトルフィーバーJ』以降、シリーズは東映の完全オリジナル企画として再始動。海外ヒーローの要素を取り入れ、巨大ロボット「バトルフィーバーロボ」を初登場させるなど、後の特撮文化を決定づける仕掛けを次々と導入した。
さらに『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』では科学や環境をテーマにするなど、社会性とエンタメ性を両立させた構成が定着していく。これらの作品群に統一感をもたらした架空の原作者「原作・八手三郎」は、シリーズ全体をつなぐ「象徴」として機能したのだ。
また、この八手三郎という名は、時に作品内でも“キャラクター化”されている。2012年の『非公認戦隊アキバレンジャー』では、八手三郎という名の人物が物語のキーパーソンとして登場、ファンを喜ばせた。2016年の『動物戦隊ジュウオウジャー スーパー動物大戦』では、東映テレビ・プロダクション社長の日笠淳氏が八手三郎役でカメオ出演するという遊び心も見せている。
スーパー戦隊は、石ノ森章太郎氏が創り出した“チームで戦うヒーロー”という発想を引き継ぎ、東映が時代に合わせて再解釈してきた「八手三郎」の軌跡でもある。シリーズ終了の報道をきっかけに、SNSでは「八手三郎さん、長い間ありがとう」という投稿が相次いだ。
たとえスーパー戦隊シリーズが幕を閉じたとしても、「八手三郎」という名義の下で育まれ、受け継がれてきた精神は、これからも日本のヒーロー文化のなかで生き続けていくだろう。


