1984年、『週刊少年ジャンプ』(集英社)誌上で突如として始まり、そして唐突に幕を閉じた漫画がある。車田正美氏による『男坂』である。
本作は後に『聖闘士星矢』で世界的な成功を収めた車田氏が、「これを描くために漫画家になった!」とまで語った意欲作。しかし、連載はわずか半年、単行本3巻で打ち切られる。主人公・菊川仁義の「オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな」「このはてしなく遠い男坂をよ…」の台詞による幕切れは、漫画史に残る「打ち切りエンド」の代表例として語り継がれることになってしまった。
それから30年後の2014年、本作が突如“復活”を遂げ、やがて2023年に完結を迎えたことは、ファンにとってはまさに奇跡だった。今回は、そんな『男坂』の物語がどのように幕を閉じたのかを振り返っていこう。
※本記事には作品の核心部分の内容を含みます。
■ラストの“未完”の衝撃…
車田氏の輝かしいキャリアは初の長期連載作品『リングにかけろ』に始まり、『風魔の小次郎』を経て『聖闘士星矢』で頂点を極める。しかし『男坂』には、これらの人気作に見られる“超人的な描写”はない。
車田氏は、本宮ひろ志氏の『男一匹ガキ大将』に感銘を受けたことを明かしており、本当に描きたかったのは自身の原点にある「硬派な少年たちの友情と喧嘩」の物語。『男坂』はその集大成として構想10年で挑まれた作品だった。
しかし、この硬派な設定は当時のジャンプ読者層には受け入れられなかったのか、あえなく打ち切りという結末を迎える。膨大な伏線や構想は回収されぬまま宙に浮き、最後のページに大書された「未完」の2文字が逆に熱を帯びてファンの心に刻まれ、“伝説”として語り継がれることとなった。
それから30年、奇跡のような出来事が起きる。2014年、車田氏は自身のホームページで「男坂復活」を発表したのである。連載はタイトルもそのままに、打ち切りとなった第3巻の続きである第4巻から再開。リメイクや外伝ではなく本編を直に続ける異例の連載再開は、多くのファンを驚かせた。
掲載媒体は『週プレNEWS』を経て『少年ジャンプ+』へ移籍。短期連載を繰り返しながらも、最終的には8巻分を積み重ね、全11巻という大作となった。空白を埋めるように、かつて語られなかった仁義と仲間たちの戦いが描かれていったのである。
■『男坂』約40年越しの最終回の内容とは?
再開された『男坂』では、日本各地の“硬派”を集めて外国勢力に立ち向かう構想が形を得る。横浜のジュリー、萩の高杉狂介、北海道の神威剣らが登場し、仁義のもとに結集していく。
やがて宿命のライバル・武島将が率いる軍団と対峙する中、外国からの侵略者が襲来し、日本の硬派たちが一致団結して敵を打ち破る展開が描かれる。
そして最終章では、ついに仁義と武島の一騎打ちが実現。そこで明かされたのが、2人が同じ師「喧嘩鬼」のもとで育ったという衝撃の事実だった。
喧嘩鬼は戦時中の特攻隊員であり、敗戦後に世界を放浪しながらケンカ修行を続けた男であることが判明。その後は、硬派な精神を失った日本に失望し、山籠もりの修行に入ったのだという。
決戦の末、仁義は武島に勝利。しかし命をかけた戦いで力尽きてしまい、武島に日本の未来を託すと、ボロボロの体をボートに預け海の彼方へと消えていった。そんな彼の姿を、「太陽から来た男が 今また太陽へ帰っていくのだ…」と見送る仲間たち。
最後の見開きページには、右に太陽、左に仁義のアップが描かれるとともに、今度こそ「完」の大文字で締めくくられたのである。
約40年の時を経ての完結についてさまざまな意見があるものの、車田氏が69歳にして、数十年前に打ち切られた物語に終止符を打ったことは、ファンにとってこの上ない喜びだった。
連載開始当時に少年だった読者たちが大人になり、仁義とともに歩んだ40年の時を噛みしめながらこの最終回を読むことの意味は、時代を超えた感動として語り継がれるに違いない。


