生々しくてエグい…「昭和ホラーマンガ」人間に恐怖してしまう「救いのない結末」の画像
楳図かずお・著 Kindle版『洗礼 1』(小学館)

 1990年代後半から巻き起こった「Jホラーブーム」は、精神的な恐怖をベースに描かれた『リング』や『呪怨』といったホラー映画作品が牽引した。

 令和に入ってからは、WEBメディア発の『変な家』や『近畿地方のある場所について』などが大ヒット。フィクションをドキュメンタリー風に描く「フェイクドキュメンタリー形式」の作品が人気を集めている。

 このように時代にあわせてメディアや表現手法を変えながら、日本のホラーは独自の進化を遂げてきた。

 もっと振り返れば1970~80年代の日本では、空前のオカルトブームが到来。つのだじろう氏の『恐怖新聞』『うしろの百太郎』をはじめ、数多くの恐怖漫画が生まれた。

 圧倒的な画力で描かれたショッキングなシーンやグロテスクなシーンはインパクトがあったが、物語の悲しい末路が読者の心に刺さる作品もあった。そこで今回は、悲しすぎるラストにショックを受けた昭和ホラーの傑作を振り返ってみたい。

※本記事には作品の核心部分の内容を含みます。

■奇病に襲われた男の哀れな最期…『蔵六の奇病』

 1970年、雑誌『少年画報』(少年画報社)に掲載された日野日出志氏の『蔵六の奇病』(少年画報社)。個性的な絵柄で知られ、ホラー漫画界の第一人者である日野氏が、1年がかりで描きあげたという初期の怪作である。

 物語は、昔話に出てくるような農村が舞台。主人公の蔵六は頭が弱く仕事もしないが、絵を描くのが好きな若者だった。しかし、彼の顔に不気味な“できもの”が現れると、実の兄・太郎によって「ねむり沼」近くの森のあばら家へと追いやられる。

 その後、蔵六が発症した原因不明の奇病は悪化し、体中ができもので覆われた。痛みに耐えながら小刀で七色の膿を絞り出し、それを絵の具にして喜んで絵を描いていたのだが、あまりの悪臭と醜い姿に村人たちは蔵六のことを「怪物」だと迫害するようになる。

 唯一の救いであった母親の来訪も禁じられ、生きるために虫や獣の死骸を食べて命をつなぐ蔵六。しかし、奇病の悪化で目や耳も腐り落ち、おぞましい姿となっていった。

 村ではついに蔵六を殺すことを決め、吹雪の中、彼のいるあばら家へ向かう。だが、そこに蔵六の姿はなく、雪の中から美しい七色の甲羅に包まれ、目から真紅の涙を流す巨大なカメが現れると「ねむり沼」へと入っていった。

 こうして蔵六の行方は知れぬまま、あばら家には美しい色で着彩された大量の絵だけが残されて物語は終わる。

 本作には、とにかく救いがない。実の兄に疎まれ、村人からは見下され、彼らによって両親とのつながりまで絶たれた蔵六。ずっと欲しかった七色の絵の具を、自分の体をえぐった膿で叶えるのはあまりに凄惨だ。

 そんな絶望的な状況にありながらも、ささやかな幸せを感じていた蔵六だが、大好きな絵を描くのに必要な目まで失い、奇病だからと村人から殺意を向けられたのはあまりにも残酷である。

 もしも最後に現れた巨大なカメの正体が蔵六だとしたら、自身を殺しにやってきた悪鬼のような村人の姿を見て、何を思いながら沼に沈んでいったのだろうか……。

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