「冒険」をテーマにした物語は少年漫画の定番だが、いずれも母親不在の設定が目立つ。たとえばいまや冒険漫画の代名詞とも言える、尾田栄一郎さんの『ONE PIECE』。主人公のルフィ率いる麦わらの一味は、そのほとんどが母親と死別しているか詳細不明のままだ。同様に冨樫義博さんの『HUNTER×HUNTER』でも、主人公のゴンには育ての母である“ミトさん”がいるものの、実母についてはわずかに触れたのみで、やはり正体や消息は明かにされていない。
実は、このような設定に関して、尾田さんや冨樫さん本人が直接言及している場面がある。それらの発言をもとに、「冒険」と「母親」の関係について考えてみたい。
■尾田栄一郎さんの考える「冒険の対義語」
『ONE PIECE』に、母親が登場しないことを不思議に思うファンは多いようだ。単行本78巻のSBS(質問コーナー)でも、“母親が不明だったり、すでに死亡しているキャラクターが多いのはなぜか?”という質問が出ており、これに対して尾田さんは「『冒険』の対義語が『母』だからです」と回答している。
また、『ONE PIECE FILM RED』公開時に行われた、声優の田中真弓さんと池田秀一さんによる対談のなかでも、尾田さんは同様の発言が見られる。
それによると、“ルフィの母親はどういう人か、なぜ描かないのか?”と尋ねた田中さんに、尾田さんは「僕は冒険物語を描きたいんです。冒険の対義語って何だと思いますか? 母親です”と答えたそうだ。つまり、子どもは母親のもとを離れるから冒険できるということなのだろう。
ここで尾田さんの言う「母親」とは、単純に女親のことを指しているのではなく、子どもをすべて受け入れて包み込む“母性性”という概念の話だと思う。
母性に包まれた小さな世界は、子どもにとって安全で居心地が良く、万能感にあふれた世界だ。対して「冒険」とは、危険に満ちた未知の領域に踏み出すことである。母性が作る安全な世界を出ずして、冒険するのは難しい。その点においては、たしかに「冒険」の対義語は「母親」であると言えるだろう。
■冨樫義博さんの考える「漫画における親」
冨樫さんもまた、漫画家の石田スイさんとの対談のなかで、漫画における親の存在について語っている。
冨樫さんは、“漫画における親とは、主人公がやることを反対する立場の人間”としており、まだ小学校高学年くらいのゴンにもしきちんとした親がいたら、危険な冒険に出るのを許すはずがないと考えたそうだ。それで「本当にもう親って邪魔だな」と思い、いっそ親を探すことを冒険の目的にしたのだという。
たしかに、たいていの親は子どもを危険から遠ざけたいと考え、幼くして冒険に出るのを止めるだろう。これがエスカレートすれば、子どもを守りたいがゆえにアレもダメ、コレもダメと制限し、安全な世界に閉じ込める結果になるかもしれない。このように、包み込んで守る性質を持つ一方で、飲み込んで自立を阻む側面を持つのも、母性性の特徴だと言われている。
ゴンから「口うるさい」と言われるミトさんも、やはりゴンの冒険を手放しに許可したわけではない。“池の主を釣り上げたらハンター試験を受けに行ってもいい”という約束をゴンが見事に果たしたことと、実父であるジンの血筋を前にしぶしぶ送り出すこととなる。一方、キルアの実母であるキキョウは束縛したがるタイプだ。そのため彼が冒険に出るには、母親の顔面を刺して家出するしかなかった。
つまり母性の枠から飛び出すのに、ゴンは時間と忍耐を、キルアは危険と代償を払う必要があったわけだ。子どもにとってはなかなかの大仕事だっただろう。
■「母親」のもう一つの役割と少年たちの冒険の行方
それでは母性はただ冒険の邪魔でしかないのかというと、あながちそうでもないと思う。守られた世界で安心感や自信が育まれたからこそ、子どもは外の危険な世界に好奇心を向けて冒険に出ることができるのだ。心理学者のメアリー・エインスワースの言葉を借りるなら、「心の安全基地」というものだろう。つまり「母親」は表面上「冒険」の対義語であると同時に、実は冒険の根幹をなすものでもあり、両者は複雑で密接な関係にあると言える。
そう考えると、ルフィとゴンの冒険の終わりには、実母が登場しても何ら不思議はないような気もする。とはいえ、実質彼らにとっての安全基地は実母ではなく、育ての親であるダダンやミトさん、それに彼らを見守り続けたフーシャ村とくじら島の大人たちだろう。
念能力が使えなくなり冒険をいったん終えたゴンは、くじら島のミトさんのもとへ帰った。ルフィも実母の正体には興味がないようだし、もし彼らの実母が登場したとしても、さして大きな影響はもたらさないように思う。
ただゴンに関しては、“制約と誓約”によって再起不能になり、暗黒大陸出身のアルカの力で回復したという経緯から、“もしかして実母も暗黒大陸の関係者で、今後ゴンの念能力を復活させたりして……?”なんて妄想も膨らむ。何より実母について匂わせる場面も過去にあったことだし、どんな形であれ伏線として回収されるのではないかと期待を抱かずにはいられない。
「冒険」と「母親」とは、表面的には対を成す概念ではあるが、実際は互いに補完する関係ではないだろうか。子どもの安全基地になって冒険に出る勇気を育み、冒険を静かに見守り、帰って来たときには喜んで迎え入れる。
父親だろうが母親だろうが、血のつながりがあろうがなかろうが、子どものためにそういう土壌を育むことが私たち大人の務めなのかもしれない。