『火垂るの墓』“赤く光る幽霊”に『千と千尋の神隠し』湯婆婆の衝撃波も…描写の意味を知ると見方が変わる「スタジオジブリ作品の裏話」の画像
© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

 7月14日、最新作の『君たちはどう生きるか』が公開されたスタジオジブリ。2013年に公開された『風立ちぬ』から10年の月日を経て公開された宮﨑駿さんの長編アニメーション作品とあって、公開前からファンの注目を集めていた本作。

 このように宮﨑駿さんをはじめとする名監督たちが生み出す作品たちは、昔も今も世界中から高い関心を集めている。そしてスタジオジブリ作品と言えば、さまざまな意図で演出されているシーンも多く、監督の意図を知るとより作品の深さがわかるのも魅力だ。そこで今回は、監督の意図や指示の内容が明かされたことで「意味がわかって見方が変わったシーン」をご紹介していこう。

■意外なものをイメージしていた? 『火垂るの墓』の赤く光る清太と節子の幽霊

 1988年に公開された『火垂るの墓』。高畑勲さんが監督を務めた本作は、野坂昭如さんの短編小説を原作に描かれ、戦時中の日本を舞台に過酷な世界を生き抜こうともがく幼い兄妹の姿が印象的な作品だ。

『火垂るの墓』は、清太と節子という幼い兄妹が亡くなってしまうという結末が冒頭で描かれており、彼らがどのように生きたのかという軌跡を辿るように作られている。

 幽霊となった清太が客観的に自分を見ている印象的なシーンではじまるのだが、作中に登場する清太と節子の幽霊は、なぜか赤く光ったように描写されている。実はこの演出は、「阿修羅」をイメージして作られていた。

 2018年4月13日、『アンク@金曜ロードショー』の公式ツイッターアカウントが当時の裏話を明かしている。この投稿によると、本作の色彩設計を担当した保田道世さんは、高畑監督に“阿修羅”の写真集を見せられたそうだ。そして、「阿修羅のごとくにして欲しい」と清太と節子の幽霊の描写を指示されたという。こうして内面から発光するようなイメージで、赤く光る演出が生まれた。

 “阿修羅”とは仏教の守護神で、闘争を好む鬼神の一種。血気盛んであったと言い伝えられている。そんな阿修羅はたいていが赤い姿とけわしい鬼気迫る表情で表現されており、どちらかといえば“怖い”という印象を持つ人のほうが多いだろう。

 あえて幼い兄妹を“阿修羅”のイメージで表現した高畑監督。彼らが歩んだ決して優しくはない過酷な運命を物語っているようで、見る人の心に深く刻まれる印象的な姿となっている。

■湯婆婆が放った衝撃波は「かめはめ波」!? 『ドラゴンボール』がモデルのシーン

 2001年に公開された『千と千尋の神隠し』からは、湯婆婆についてご紹介しよう。湯婆婆は千尋が迷い込んだ世界で“油屋”を取り仕切る魔女だ。大きな頭が特徴的で強烈なインパクトのある湯婆婆だが、ときには油屋を守るために体を張ることもある。

 ある日、油屋に招かれざる客・カオナシがやってきた。カオナシは金塊を体から出しながら油屋の従業員たちを次々と飲み込んでしまう。はじめは上客だと喜んでいた従業員たちも、次第にカオナシがとんでもないバケモノであることがわかりパニックに。そこで暴走するカオナシを引き止めようと、体を張ったのが湯婆婆だった。

 彼女はカオナシに向け、衝撃波のようなものを放って応戦している。このシーンについて、2022年1月7日に投稿されたスタジオジブリの公式ツイッターアカウントで衝撃の裏設定が明かされている。

 ファンからこのシーンについて「なぜドラゴンボール風にしたのですか?」と質問され、「絵コンテには“ドラゴンボール風”と書いてありますね(笑)」と当時の絵コンテの1カットとともに答えているのだ。

 実際に添付されている絵コンテの画像を見ると、湯婆婆が衝撃波を放つシーンで「ドラゴンボール風」と付け加えられているのがわかる。

 なぜ湯婆婆がこのような衝撃波を撃てたのかは定かではないようだが、宮﨑監督によると「湯婆婆は空中遊泳できるおばあさん」だそうで、空中を飛ぶことができるなら衝撃波が撃ててしまうのもなんだか納得できてしまう。

■ジジはただのペットではない!? 『魔女の宅急便』でジジが話せなくなった理由

 最後にご紹介するのは、1989年に公開された『魔女の宅急便』だ。魔女見習いのキキが一人前の魔女になるために修行の旅に出る本作は、角野栄子さんの児童文学を原作に制作されている。

 本作ではキキがコリコという海沿いの美しい町で一人暮らしをしながら、恋に仕事に奮闘していくストーリーが描かれている。思春期の女の子が抱えるあらゆる感情を、魔女という特殊な立場に身を置くキキを通して描かれた本作。

 作中では、キキが相棒の黒猫・ジジと言葉が交わせなくなってしまうハプニングが印象的だった。もともとジジと会話できたのはキキが魔女の力を持っているからなのだが、感情が波立ちスランプに陥ってしまったことで空も飛べなくなり、ジジとも話せなくなってしまったキキ。やがて彼女はこのスランプを克服するのだが、物語がクライマックスをむかえても、キキがジジと話せるようになることはなかった。

 これについて、2020年3月27日に『アンク@金曜ロードショー』の公式ツイッターアカウントが、鈴木敏夫さんの言葉を紹介している。鈴木さんによると、キキがジジと話せなくなったのはジジがペットではなく「もう一人の自分」だからだったという。キキにとってジジとの会話は「自分との対話」でもあり、物語の最後にジジと話せなくなったのは、キキが新しい一歩を踏み出したことで「分身がもういらなくなった」という意味があったというのだ。

 キキがコリコの町で独り立ちできた証拠が、「ジジが話さなくなった理由」であるというこの裏話。意味を知っても、言葉を話す可愛らしいジジが好きな筆者はなんだかさみしい気持ちになってしまうのだが、またそのさみしさも「一人前になる」ということなのだろう……。

 

 スタジオジブリ作品の随所に散りばめられている監督や制作者の意図は、読み解いていくとさまざまな考察もあり、新しい視点で作品を見直すきっかけにもなる。

 何度見ても楽しめるのが、スタジオジブリ作品の醍醐味でもあり、ファン同士で意見を交わし合うのもまた楽しいものだ。筆者もまた、馴染みのある名シーンに隠されたトリビアのような裏話を頭の隅に置きながら、もう一度作品を見返したいと思った次第だ。

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