■好き嫌いしない子どものほうが偉いと褒めてくれない母
学校で夏休みの読書感想文を褒められたタエ子。その話を母に伝えている最中、嫌いな給食のおかずを食パンに挟んで持って帰ってきたことが見つかってしまう。
母は、読書感想文に関してタエ子を褒めず「好き嫌いしないでなんでも食べる子のほうがずっと偉いのよ」とピシャリ。これもまた、昭和を象徴するようなシーンだろう。
当時は「食べ物を残さず食べる」ということが、子育てにおいて徹底されていたように思う。まだまだ日本が貧しい時代だった当時は、あまり贅沢を言うことができない家庭が多かっただろう。好き嫌いせず、なんでも食べて大きく健康に育ってほしいと言うのは親の一番の願いだったのかもしれない。
そう思うと、ここでの母の気持ちは親世代になった今では痛いほどわかる。とはいえ、せっかく学校で褒められた読書感想文については、一言くらい「すごいね」と声をかけてほしかった……と思ったシーンだった。
■娘の夢を一言でぶった斬る…「芸能界はダメ」と言う父に家族は?
学芸会でタエ子は一言しかセリフのない村の子どもの役を演じたのだが、自分で考え、身振り手振りを付け加えて見事な演技を見せた。すると、その演技はたちまち評判となり、しまいには大学の演劇への出演依頼が舞い込むほどに。
タエ子の大躍進に姉だけでなく母までもが浮き足立っていく。しかしそんな雰囲気も、父の「芸能界なんてダメだ」の一言でなかったことになってしまうのだ。それまでタエ子が芸能の道へ行く可能性を夢見て喜んでいた家族までも、手のひらを返したように父に従う始末。
これもまた、昭和の家庭を象徴するシーンだろう。当時といえば、家父長制が一般的で、最終的な決定権は父親にある家庭が多かった。
そして、まだ芸能界という存在が身近ではなく、より“不確かなもの”だったであろうこの時代。まさに“昭和”を象徴するような厳格なタエ子の父にとって、芸能界は“浮ついたもの”というイメージが強かったのだろう。
とくに子どもたちを大切に思っていた父は、大切な娘であるタエ子に“不確かな将来”への道を歩んでほしくなかったのではないかと筆者は思う。わが子の夢を親の思いのみで一蹴するのはあまり褒められたことではないが、時代背景や父の性格を思えば「これがリアルなのかも?」と思わされるシーンだった。
『おもひでぽろぽろ』で描かれたこれらのシーンは、暴力や一歩間違えれば虐待とも取られてしまうものだろう。一家の主人とはいえ、精神的に抑圧するというのもまた、賞賛されるものではないと思う。
しかしその一方で、かつての日本にこのような慣習があったことは確かであり、当時の“普通”だったのだ。当然のように家族は父に従い、ときには手を出す厳しいしつけもあったこの時代。“良い時代だった”とは到底言えないとは思うのだが、「そんな時代もあったんだ。今ならこうなのにな」と、世代を超えて新しい気づきをくれる作品ではないだろうか。