『ベルサイユのばら』に登場するキャラたちの“知られざる史実”…フェルゼンやルイ・シャルルの悲惨すぎる末路とはの画像
フェアベルコミックス『ベルサイユのばら』第7巻(フェアベル)

 昭和の名作少女漫画というと、池田理代子氏の『ベルサイユのばら』を思い出す人も多いだろう。1972年に『週刊マーガレット』(現:『マーガレット』集英社)で連載がはじまり、昨年50周年を迎えた本作。アニメ化や宝塚歌劇での舞台化もされ、今もなお多くの読者から愛されている作品だ。

 そんな『ベルばら』は、1789年7月14日からはじまったフランス革命前後の史実をベースとして描かれた作品だが、実際の史実は漫画と異なり、さらに壮絶なケースもあることをご存じだろうか。今回はそんなベルばらに登場するキャラたちの、ストーリーと史実が異なるケースを3選紹介する。

■マリー・アントワネットとの愛に生きたフェルゼンのリアルな最後とは?

『ベルばら』のキャラはほぼ全員が美しいのだが、男性陣のなかで群を抜いてイケメンと人気を博したのが、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンである。知的で容姿端麗、誰にでも優しい彼は、オスカルからも恋心を抱かれる存在であった。

『ベルばら』でのフェルゼンは、仮面舞踏会でマリー・アントワネットと運命的な出会いをする。王妃と貴族の道ならぬ恋であったが、終盤で王妃一家が逃亡をする際にも「ともに死ぬためにもどってまいりました…」と、マリー・アントワネットを支えていた。

 マリー・アントワネットが処刑されてからは祖国・スウェーデンで外交使節として活動するも、民衆から撲殺され死亡。本作の最後のページには、民衆から暴力を振るわれたフェルゼンが、血を流し石畳に倒れたシーンが描かれている。

 実際に存在したフェルゼンも、マリー・アントワネットを愛した男だったようだ。しかし漫画のように誰に対しても紳士的で優しいキャラクターではなく、民衆に対しては高圧的な支配者だったという説もある。

 フランス革命後に祖国に戻ったのち、フェルゼンは民衆の激しい憎悪に晒された。暴動が起きた際、フェルゼンは投石襲撃を受けて馬から引きずり下ろされたうえ、頭部、胸部、腹部などを踏まれて殺されてしまう。さらに、彼の遺体は全裸で排水溝に投げ捨てられた……とあり、民衆からとても深い怨みを向けられた存在だったのが分かる。

 ちなみに、フェルゼンが実際に亡くなったのは1810年の6月20日。くしくも、マリー・アントワネットら一家がオーストリアへの逃亡をはかって失敗し、民衆に捕らえられた「ヴァレンヌ事件」の19年後のことであった。史実においても、2人の運命的な結びつきを感じてしまうのは筆者だけではないだろう。

■ポリニャック伯夫人とロザリーには親子関係がなかった?

『ベルばら』の主役たちを支える重要キャラとして、ポリニャック伯夫人とロザリー・ラ・モリエールがいる。

 ある日、ポリニャック伯夫人の乗る馬車が、貧しいロザリーの母親を馬車で轢き殺してしまう。その後、ロザリーはポリニャック伯夫人に復讐を誓い、ベルサイユ宮殿で新たな存在感を発揮していくこととなるのだが、実はこの二人は実の親子だった。

 育ての母を生みの親が殺してしまった事実を知り、苦しむロザリー。さらに、自分のもう一人の娘を亡くしたことを機にロザリーを自分の娘として引き取り、政略結婚をさせようと目論むポリニャック伯夫人の欲深さなど、彼女らの複雑な関係性も本作の見どころの一つとなっていた。

 そんな2人だが、実際の史実によるとロザリーは架空の人物であり、もちろんポリニャック伯夫人との親子関係は存在していない。ただ、マリーアントワネットが死刑になるまで世話をし、手記を残したロザリー・ラモルリエールという女中は実在していたという。実際、彼女をモデルに池田氏はロザリーを描き上げたそうだ。

 そして、ポリニャック伯夫人は実際に存在した人物である。マリー・アントワネットの寵臣としてベルサイユ宮殿に入り浸っていた貴族で、大変美しい女性であったという。

 やがて彼女は宮廷を牛耳るかのような振る舞いを見せるようになり、数々の豪華な宝飾品を買い漁り、国の財政を傾けていく。フランス革命がはじまり、パリ民衆から憎しみを向けられたポリニャック伯夫人はスイスに亡命するも、マリー・アントワネットの処刑からまもなく、病気が原因で44歳で亡くなったとされている。

『ベルばら』でのポリニャック伯夫人の描かれ方は史実に近いものがあるが、隠し子はおらず、実際は娘や息子に恵まれ、その血筋は現在のモナコ王室まで続いているという。

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