6月16日にいよいよ映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が公開となりました。
この作品には、さまざまなパラレル・ワールド(マルチバース)からやって来たスパイダーマンたちが登場しますが、物語で重要な役を担うのが、スパイダー・ウーマンことグウェン・ステイシーというキャラクターです。
オリジナルのコミックスでは、彼女はスパイダーマンことピーター・パーカーの恋人で、ごく普通の女子という設定ですが、今回登場する映画では、彼女自身が「放射能クモに噛まれて得たクモの超能力を使って悪と戦うヒーロー」ということになっています。
ここでは、そんなグウェン・ステイシーに関する7つのトリビアをご紹介しましょう。
(1)コミックス『アメイジング・スパイダーマン(以下ASM)』連載開始からしばらくの間は、ピーター・パーカーは1年に1歳年をとっていました。1962年『アメイジング・ファンタジー』誌で、このとき15歳で放射能クモに噛まれたピーター少年は、逆算をすると1947年の亥年生まれということになります。
そしてグウェン・ステイシーも彼とは大学の同級生なので同じ1947年生まれ。現実世界に照らし合わせると、デヴィット・ボウイ、ビートたけし、細野晴臣、アニマル浜口、平野レミ、今いくよ・くるよらと同い年であると推測されます。
(2)「スパイダーマンの最初の恋人」と目されるグウェンですが、初期の『アメイジング・スパイダーマン』で、ピーター・パーカーの淡いロマンスの相手はデイリー・ビューグル紙でJ・ジョナ・ジェイムソンの秘書を勤めるベティ・ブラントでした。
(3)スパイダーマンを創造したのは、原作担当のスタン・リーと作画担当のスティーブ・ディッコのコンビですが、ディッコは作品の方針に納得が行かず連載途中の『ASM』38号(1966年)で降板してしまいます。
次の39号から代わりに作画担当となったジョン・ロミータは、少女向けの恋愛モノを長らく勤めていた漫画家で、女性キャラクターは急にオシャレで可愛くなり、ピーターはハンサムになりました。ピーターとグウェンの恋が進んだのもそれ以降のことです。
(4)グウェンの父のジョージ・ステイシーはニューヨーク警察の警部で、幼くして両親も育ての父も亡くしたピーターにとっては父親のような存在でしたが、『ASM』90号(1970年)で、リザードとの戦いに巻き込まれて死んでしまいます。今際の際にスパイダーマンの腕に抱かれたステイシー警部は、自分がその正体が娘の恋人のピーターであるのを知っている、と告げ、「娘のことを頼む」と息をひきとります。
泣きながら「約束します」と誓うピーターでしたが、そんなグウェンは『ASM』121号(1973年)でグリーン・ゴブリンにワシントン橋から突き落とされ、あっけなく死んでしまうのでした。
(5)その『ASM』121号は、表紙に主要キャラクターの顔を並べ、「この号でスパイダーマンの近しい人が死ぬ!」とか「ターニングポイントの1冊」などと散々あおっていたのですが、読後、あまりの衝撃に読者は激怒。しばらくマーベル社は「炎上」の憂き目に遭いました。
なお、この号の原作はゲイリー・コンウェイ、作画はギル・ケイン、編集はロイ・トーマスでしたが、当時は編集主幹の立場にあったスタン・リーは、「俺が出張中に若い連中が勝手にやった」とうそぶいていたとか。
(6)そんなグウェン・ステイシーは、ジャッカルという悪役によってクローンとして蘇ったことがあります。大きくストーリーに絡むかと思われましたが、スパイダーマンと協力してジャッカルを倒した後、現在はジョイス・デラニーと名を変え、静かに暮らしています。
(7)『ASM』509号(2004年)から始まった新展開では、グウェン・ステイシーに双子の隠し子がいたことが判明しました。
しかも、父親はグリーン・ゴブリンことノーマン・オズボーン。ちょうど、父のステイシー警部を亡くしたショックでパリに留学していたグウェンは、そこでノーマンと出会い、お互い心が病んでいたせいでよろめいてしまった、というのです。
妊娠&出産後、グウェンはニューヨークのピーターのもとに戻り、子供たちはノーマンに預けられた……という説明が、コミックスの中でなされました。
この設定はファンはもちろん作家陣からも総スカンを喰らい、今では「なかったこと」にされています。
かように、作家陣から雑にイジられてきたグウェン・ステイシー。アンドリュー・ガーフィールド版の映画でも気の毒な扱いでしたが、そんな彼女は、どこかのユニバースで幸せに過ごしていることを願うばかりです。
※コミック界のレジェンド、ジョン・ロミータ氏が2023年6月12日に亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします