「幽幻道士テンテン」に「ちゅうかないぱねま」「カンフーレディー」も!80年代キッズが夢中になった「カンフー服少女」のかわいさの画像
『幽幻道士(キョンシーズ)』 <デジタルリマスター版>

 多くの日本人が持つ「中国武術」のイメージといえば、功夫(カンフー/クンフー)かもしれない。だが、本来カンフーとは「時間、工夫、知恵」のような意味を持つ言葉だった。

 実は、1970年代にブルース・リーの映画が大ヒットをした際、中国武術が「カンフー」と表記されたことで広く定着したのである。これにより「中国武術=カンフー」という大雑把な捉え方がなされたことにより、「カンフーアクション」という新たなジャンルが誕生。その後、80年代になるとジャッキー・チェンの登場により、コメディ要素を取り入れた「香港カンフー映画」が世界的大ブームを巻き起こしたのだ。

 こうした影響は日本にも及び、カンフーとともにマオカラー(立てえり)やチャイナボタンの付いた中国衣装も浸透。当時のTVドラマや番組を思い返してみても、カンフー服姿の美少女がブラウン管のなかでいつも微笑んでいた気がする。

 そこで今回は、80年代に日本の子どもたちを夢中にさせた「カンフー服少女」3選を紹介したいと思う。

■キョンシーブームも巻き起こした可愛い少女道士『幽幻道士』

 1985年に公開され大ヒットした香港のキョンシー映画『霊幻道士』の設定を元に、86年に台湾で制作された亜流作品が『幽幻道士』である。日本でも怖いながらもコミカルなゾンビ「キョンシー」が人気となり、両手を前に出したままピョンピョンと跳ねる子どもたちが続出し、関連グッズも多数展開された。

 さらに『霊幻道士』では年配男性だった道士役を、亜流作品の『幽幻道士』では可憐な美少女にしたことで多くのファンを獲得。88年には日本のTBS出資によりスピンオフ番組『来来!キョンシーズ』が制作されるほどの人気を集めたが、それらをけん引したのがカンフー服姿で活躍した美少女道士・恬恬(テンテン)だ。

 テンテンとは『幽幻道士』の主人公で、当時7歳で演じた劉致妤(リュウ・ツーイー)さんの旧芸名でもあった。物語のテンテンは優秀な道士・金おじいさんの孫娘だが、幼いながらも優れた法術の才能を持つ少女。そんな二人が暮らす葬儀屋にチビクロやスイカ頭ら4人の孤児が引き取られるという展開で、彼らをまとめながらキョンシーと戦うテンテンが可愛らしくも強く、当時の小学生たちにとってはまさに「アイドル」だった。

 孤児たちは大道芸を生業としていたため、劇中では見事なカンフーアクションを披露。またテンテンの「天罰!」「天誅!」「昇天!」などの決めセリフは人気となり、彼女が着ていたカンフー服とともに憧れた人も多いだろう。 

 テンテンを演じた劉致妤さんは後にシャドウ・リュウ(Shadow Liu )と改名し、彼女のツイッターやフェイスブックのプロフィールには「テンテン」の名が書かれている。現在44歳となったリュウさんではあるが、どことなくカンフー美少女時代のおもかげがある。

■同じ年に登場した二人の中華魔女『ちゅうかなぱいぱい』『ちゅうかないぱねま』

 1981年からスタートした「東映不思議コメディーシリーズ」は、日曜日の朝9時〜9時30分(関東地方)にフジテレビ系列で放送された子ども向けの特撮ドラマだ。なかでも1989年1月から放送されたシリーズ9作目『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』は、初の実写版「変身魔法少女」ものであり、90年代の『美少女仮面ポワトリン』や『有言実行三姉妹シュシュトリアン』など「美少女シリーズ」の布石となった作品だ。

 小沢なつきさん演じる中華魔女ぱいぱいは、普段は人間界で家政婦に変装しながら暮らしているが、呪文を唱えると髪の毛をお団子にした赤いカンフー服姿へと変身する。コアなファンを持つ人気作だったが、小沢さんの事情で番組はわずか半年で終了せざるをえなかった。

 そして同年7月から急遽放送となった『魔法少女ちゅうかないぱねま!』は、前作設定を引き継ぐ形で開始。主演の中華魔女いぱねまを演じたのは、現在タレントとしてバラエティ番組を中心に活躍中の島崎和歌子さん。当時16歳だった島崎さんはすでにアイドル歌手としてデビューしており、ドラマ出演わずか2作目で主演を射止めたことになる。

 そんな島崎さん演じる中華魔女いぱねまは、赤と黄色のカンフー服やショートカットの髪形もあいまってか、明るく軽やかなイメージ。

 ちなみに、アイドル歌手としてデビュー間もない島崎さんだったが、番組挿入歌として「元気がソレを許さない」や「恋のピー・カ・ブー」の歌唱も担当。いぱねまを演じたことにより、幼稚園や小学生の女の子たちから絶大な人気を得たそうだ。

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