みんなトオルとヒロシに憧れた! 喧嘩、ボンタン狩り、鼻えんぴつ…極私的『ビー・バップ・ハイスクール』論の画像
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 40代〜50代の男の子であれば、「不良」や「ヤンキー」という存在に一度は憧れたことがあるに違いない。そしてそのきっかけが『ビー・バップ・ハイスクール』(作:きうちかずひろ)だったという人も多いのではないだろうか? 現在アラフィフの筆者はまさにそのひとりで、中学生になったタイミングで本作と出会い、盛大にハマったクチである。今回はこの不朽の名作を振り返り、その魅力と当時の影響力の大きさを確認していきたい。

 

■リアルで等身大の不良漫画


『ビー・バップ・ハイスクール』以前の「不良」と言えば、『男一匹ガキ大将』(作:本宮ひろ志)に代表されるような、アウトローだが漢気溢れる快男児というイメージが一般的だったと思う。事実、1970年代の不良漫画は不良世界で主人公が成り上がっていく過程を描いたものが多く、一言でいえばファンタジーだった。

 そんな風潮を一変させたのが1983年に登場した『ビー・バップ・ハイスクール』だ。主人公のヒロシ&トオルは、不良界のてっぺんを取るだとか、俺より強いやつに会いに行くなどといった向上心はいっさい持ち合わせていない。彼らはただ、ちょっと刺激的でハッピーな高校生活を送りたいだけで、打算で動く小市民的なキャラクター性は親近感MAXで、妙にリアルな存在感を醸し出していた。中学生になって「少年漫画はそろそろ卒業かな?」と感じていたおませな少年の感性を強烈に刺激してやまなかったのだ。魅力的なキャラ、小気味のよい会話劇、緊迫したケンカシーン、思春期特有の悩みなど、そのどれもが等身大であるかのように感じられたものだ。

 

■「ボンタン狩り」は実際にあった!?


 本作は、初期はわりとシリアスなケンカも多かったものの、徐々にガチなケンカシーンは減っていき、中盤以降はよりコメディに比重を置くようになっていった。それは作者自身の意向であり、「バトル漫画的な展開はやがて行き詰まる」というメタ的な視点のほか、「子供たちへの悪影響を避けるため」という配慮もあったとされる。

 実際、筆者の中学生時代には、(本作の影響かどうかは不明だが)作中と同じく「ボンタン狩り」なる行為が横行しているという噂が立ったし、地元を離れた遠征時には、それはそれはビビったものだ。ほかにも作中で使用される「シャバ僧」といった隠語も流行っていたほか、(実際にされたという話は聞かないが)「鼻エンピツ」というワードも恐怖心とともに流布していたのは事実だ。つまるところ、みんな憧れていたのだ。

 

 もちろん、仲村トオル&清水宏次朗のW主演で人気となった実写映画もそれを後押ししたのは間違いない。僕からすれば仲村トオルはいまだに中間トオルのイメージが強く、それは一生変わることはないだろう。筆者が生まれ育ったのは北関東の某県で、不良文化をかなり色濃く受け継いだ土地柄であったことは補足しておく必要があるが、はたして全国的にはどうだったのだろう? 皆さんの地域で起きた『ビー・バップ・ハイスクール』の影響があれば、どうか教えていただきたい。

 

■不良作品なのに道徳的!? 処世術まで網羅!


 大人になった今、ふと「自分は『ビー・バップ・ハイスクール』から何を受け取ったのか?」を考えることがある。振り返ってみれば、この作品は不良漫画ながらもかなり道徳的であることに気づいたからだ。大人数による全面戦争は起こらないし、ましてや人が死ぬことはない。悪の限りを尽くすような極悪人も登場せず、関係者以外に被害が及ぶこともない。トラブルに際しては皆がそれぞれの立場から落とし所を探るなど、本作における不良はけして「無法者」ではないのだ。「ケジメ」や「落とし前」、「メンツ」といった不良独特の価値観はあれど、根っこにあるのは問題解決能力であり、それは大人になった僕らが現在進行形でやっていることに近いとも言える。自分の評価や価値を下げない立ち振る舞いを軸にしつつ、時には逃げたり、負けを認めたり、土下座までしてみたり。シンゴや菊リン、山田敏光といった近隣高校の番長たちとも緩く連携しながらリスクヘッジに務めるふたりの姿は、もはや人生の教科書と言ってもいいほどだ。

 ちなみに当時の筆者がいちばん好きだったキャラはバカ牛。何かと気苦労の多いキャラがひしめくなか、あの単純明快さは異彩を放っていたし、初登場時にパクをKOしたシーンは鮮烈すぎて今でも忘れられない。一方で、憧れたのはシンゴ。当時中学生だった筆者は、高校生になればこんなハーレム生活が待っているかもしれないなどと淡い期待を抱いたものだ。今考えると、作中でもっともファンタジーなキャラはシンゴだった。

 

 今でもふと思う時がある。校舎裏に行けば、そこにはヤンキー座りをしたヒロシやトオルがいて、後輩のノブオやジュンたちを相手にしょうもないことをダベっているんじゃないか。愛読当時から30年以上経ってもそう思わせてくれる、まるで実家のような魅力がこの作品にはある。

 

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