雨の日も風の日も欠かさず…ひたすら同じ修行だけを続けた「規格外の強キャラ」の画像
ゼノンコミックス『終末のワルキューレ異聞 呂布奉先飛将伝』第1巻より(コアコミックス)

 バトル漫画に欠かせない“修行”。立ちはだかった強敵との戦いの前に、主人公たちが心身を鍛え直して新しい技を獲得するエピソードは、次の展開への期待を高める少年漫画の重要な要素でもある。たとえば『ドラゴンボール』の孫悟空は幼少期に出会った亀仙人との修行から、界王星や宇宙船内など、常に厳しく鍛え続けた。また『鬼滅の刃』の竈門炭治郎も、序盤から最終選別に行くまでの間に岩割りの厳しい修行を行っている。

 作品によって修行のやり方はそれぞれだが、常軌を逸した回数や年数をこなし極めることで技を身につけるキャラもいる。そこで今回はあまりにも長い年月をかけて、“雨の日も風の日も”鍛え続け、規格外の強さを手に入れたキャラを紹介したい。

■ネテロの1日1万回の感謝の正拳突き

「雨の日も風の日も」といえば、まずは冨樫義博氏の漫画『HUNTER×HUNTER』(集英社)からハンター協会の会長であるネテロ。ハンター試験での初登場時は老獪な人物といった印象だったが、その強さを知らしめることになったのは、キメラ=アント編でのメルエムとの戦いだった。

 メルエムは王に相応しい力の持ち主で、人間とは次元の違う強さを持つ。そんなメルエムを相手に、ネテロは正拳突きを進化させたシンプルな技で対抗する。

 ネテロはこの正拳突きを昇華させるために、46歳から1日1万回の正拳突きの鍛錬を欠かさず行っていた。気を整えて、祈り、そして突く。この一連の動作は1回あたり5~6秒かかるため、当初は1万回を終えるまでに18時間かかっていたが、日に日に短くなっていき、2年が過ぎた頃には日没前に終えることができるまでになっていたと記述されている。

 そしてついに1時間を切った頃には、正拳突きが「音を置き去りにする」という境地にまでに達する。正拳突きを繰り返すという行為ひとつ見れば、それほど難しいことではないかもしれないが、毎日1万回は尋常ではない。これはあくまでフィクションの中でのエピソードではあるが、何かを習得しようと志す人にとって、努力を重ねて殻をやぶったネテロの姿は指針にしたいものではないだろうか。

■最強でありながら高みを求め続けた呂布奉先

 続いては原作・梅村真也氏、構成・フクイタクミ氏、作画・アジチカ氏による神と人間の英雄との戦いを描く漫画『終末のワルキューレ』(徳間書店)から、呂布奉先。初戦で対決した神の代表は、生まれながらに最強の力を持つ闘神トールだった。

 両者ともに圧倒的な力で相手を一方的にねじ伏せてしまうため、これまでの戦いに退屈していた。努力など一切不要のように思えてしまうが、呂布は陰ながら努力をしているキャラ。最強の称号を得ても満足することなく武の高みを求め続け、毎日戟(げき)を無心で振るい、折れた戟が山のようになっていた。

 その結果、大気を両断して天候そのものまで変える必殺技「天喰」を手に入れることに成功する。最強でありながら、呂布はなぜそこまで努力を続けるのか。おそらく自分に勝る相手がおらず、人間以外のモノを目標としたためだろう。そして実際に人間の枠を超え、神に対抗できる力を得た。

 強すぎるということは孤独なものなのかもしれない。それでも、驕ることなく黙々と努力を重ねてきた呂布には、武人や漢としてのカッコよさを感じてしまう。

■ピンチのときに思い出す師匠との修行の日々

 藤田和日郎氏による『からくりサーカス』(小学館)の主人公・加藤鳴海も努力タイプのキャラである。中国拳法を駆使し自動人形を次々と倒す鳴海だが、もともと強かったのかといえばそうではない。幼い頃は小さく、細く、臆病でいじめられっ子だった。しかし、母親が妊娠し、兄になったことをきっかけに強くなることを決意。そこから中国拳法を学ぶことになる。

 鳴海は強くなりたい一心で、雨の日も風の日も師匠から教わった基本の技を打ち続けた。そんな鳴海の努力があったからこそ、人間でありながら自動人形を倒すことができる強さを手にしたのだ。特に注目したいのは、自動人形でも最強とされるブリゲッラとの一戦である。

 ブリゲッラは徒手を得意とする自動人形で、鳴海とは肉弾戦が展開される。その中で鳴海は窮地に立たされるが、何度も練習した中国拳法の基本・劈拳(へきけん)を思い出す。そして、起死回生の一撃を与え逆転してしまう。

 これまでの鳴海の努力が実った瞬間でもあり、筆者もかなり興奮した。そんな鳴海の努力を師匠が認めていたシーンもある。鳴海が苦境に立たされたときには、そんな師匠の言葉が蘇っていた。鳴海があそこまでの努力をできたのは、師匠との絆があったからだろう。

 ひとつの技を極めるために、淡々と同じ作業を繰り返す。バトル漫画の修行は、努力は決して裏切らないということを教えてくれるものばかりだ。