原作:武論尊氏、作画:原哲夫氏による『北斗の拳』(集英社)は今年で連載開始から40周年を迎えたが、いまだに高い人気を誇る作品だ。そんな『北斗の拳』に登場するカリスマ的キャラといえば「拳王」を名乗る世紀末覇者、ラオウだ。ケンシロウとの壮絶なラストバトルと、最期の瞬間に残した名言「わが生涯に一片の悔いなし!!」は強く印象に残っている。
そんなラオウだが、ただ無慈悲で自己中心的な悪というわけではない。我が身を犠牲にしても、世界を変えようという志を持つ熱い心の持ち主でもあるのだ。だからこそ、強敵と呼べる相手には敬意を払い認めるという潔さもある。そんなラオウが認めた男にはケンシロウ以外にどんなキャラクターがいるのか?
そこで今回は、ラオウが認めた熱すぎる“漢”たちを紹介していきたい。
■多くの人間を救うために自らの命を捧げたシュウ
南斗白鷺拳の使い手であるシュウは、悲劇のキャラクターだ。視力を失い、息子を失い、最後は同志のために命まで失ってしまった。しかし、それこそがシュウの生き様と言っても過言ではない。シュウは誰かを生かすために、自らを犠牲にする道を選んでいたのだ。それが分かるのが、幼いケンシロウと戦った「南斗十人組手」である。
ケンシロウは最後の相手としてシュウと戦うことになるが敗れてしまう。南斗十人組手に挑んだ他流派の者は、全員に勝利しない限り死ななくてはならない。しかし、シュウはケンシロウを死なせるには惜しい逸材と判断すると、自らの目を切り裂いてそれと引き換えにケンシロウの命を救ったのだ。これを見ていたラオウも、シュウがただ者ではないことを感じ取っていた。
それから時は流れ、再びラオウがシュウの姿を見ることになったのは、サウザーが建てさせた聖帝十字陵の前である。この時のシュウはサウザーとの戦いに敗れ、人質の命と引き換えに頂上に聖碑を落とすことなく積み上げなければならない。シュウは両足を切られて立つこともままならない状態だ。そんな状況でもシュウは人質のために、重い聖碑を担いで最後まで登りきった。そして「ゆけ! ケンシロウ そして時代をひらけ!!」と言い残し、ケンシロウに全てを託して死んだ姿をラオウは見て、ラオウは「みごとだシュウ!!」と讃えている。
一度ならず二度までも他者のために自己を犠牲にし、最後には命までも失ったシュウの生き様に、ラオウは“漢”を感じたのだろう。シュウほどケンシロウや虐げられし民のために、自らを捧げたキャラはいない。
■ラオウに無意識の恐怖を与え下がらせたフドウ
南斗五車星の1人「山のフドウ」ことフドウもラオウが認めた強者だ。かつては若かりしラオウを恐れさせたほどの凶暴さを持つ男だった。そんなフドウだからこそ、ラオウも戦わなくてはならない存在と認め、鬼神のようなフドウを倒すことで、自らが一皮むけられるとも考えていた。
ユリアとの出会いによって命の尊さを教えられて拳を封印して、孤児たちを養うようになったフドウ。しかし、子どもたちを守るために拳王軍と対峙する必要に迫られ、フドウは再び鬼になることを決意する。それでこそ戦う相手に相応しいと対決に臨んだラオウは、自ら大地に線を引き、それより後ろに下がったら弓矢で自分を射るようにと部下に指示を出す。
しかし、いざ対決が始まると、ラオウの一方的な展開にしかならず、フドウは子どもたちを守りたい一心で倒れないように踏ん張るのみである。いつ倒れてもおかしくない……そんな状況が続くが、フドウは絶対に倒れない。いつしかそんなフドウの気迫に押されて、ラオウは知らず知らずのうちに自ら引いた線を越えて下がってしまうが、主の危機を感じた部下たちはラオウではなくフドウを射る。
フドウはそのまま力尽きることになったが、プライドをズタズタに切り裂かれラオウは約束を違えた部下に対して激高するとともに、あらためてフドウという“漢”の真の強さを認めることになる。あのラオウを気迫のみで怖気づかせたのは、凄いとしか言いようがない。
■自ら足を差し出して拳王軍の進行を止めたファルコ
最後は元斗皇拳の伝承者ファルコだ。ラオウ率いる拳王軍が村や街を制圧する中で2人は出会うことになる。
拳王軍の侵攻を止めるためラオウの前に立ったファルコは「元斗皇拳最強を自負する男の片脚もっていけ!!」と宣言すると、躊躇うことなく自らの右足を切断し、ラオウに差し出したのだ。
並の相手ならそんな行為はラオウも無視してしまっただろう。しかし、ファルコの強さを認めていたラオウは、その右足は安いものではないと判断した。元斗皇拳の使い手が足を失うということは、拳法家として死ぬことと同義である。それを知っていたからこそ、ラオウはファルコの覚悟を汲み取ったのだ。その結果、ファルコの提案を受け入れたラオウは、拳王軍をファルコの村に進軍させることを断念した。
後にファルコは天帝ルイのために帝都軍総督のジャコウに従い、ケンシロウと対決することになるが、片足を失ったとは思えないほどの戦いぶりを見せてくれた。ラオウの目に狂いはなかったということだろう。最後まで義を貫くファルコの姿には、漢気を感じずにはいられない。
熱い“漢”たちが多数登場する『北斗の拳』には、あのラオウですら、一目置かざるを得ない者がいる。どのキャラクターにも守るべき者があり、そのために命を賭ける覚悟を持っているため、ラオウも認めるほどの迫力を醸し出すのだ。ラオウも実はその行動原理の根幹として重んじているのは「愛」だからこそ、その気持ちが理解できたに違いない。時代が違えばお互いに理解し合い、手を取り合えたかもしれない“漢”たちの生き様が『北斗の拳』の醍醐味とも言えるだろう。